人間は努力して「人間」になるんだ、っていう話
ずっと以前に購入しながら結局読むことなく部屋の本棚に置いてある本が、まぁ、結構有ったりしますよね。
何となく一ページぐらい目を通してやらないともったいないかな、なんて思ったりして、ペラペラとページをめくっていると、おや、と思うような箇所を見つけたりして、とりあえず買っておいてよかったかな、などと思ったりすることも時々あります。
『不可能な交換』(ジャン・ボードリヤール著 紀伊國屋書店)。
この本、いつ頃買ったのか、全く覚えていませんが「初版2002年1月24日」となっているので、たぶんその頃買ったのでしょう。ジャン・ボードリヤールという名前はどこかで聞いたことがあるような気がするのですが、もしかしたら大変な有名な人なんでしょうかね。
「世界、あるいは現実がヴァーチャルな領域で人工的な等価物を見つけたとき、その世界、あるいは現実は不要になる。」(同書P62)
別にたいそう難しい話をしているわけではありません。ただ学術書の翻訳文によくある小難しい表現なので平凡な人間には解りにくいだけです。
要はこれまで人間が頭脳や肉体を懸命に使用して、生きるために、あるいは繁栄していくためにやってきた“仕事”が、最先端のデジタル技術・・・と言うのかITとでも言うのか・・・によって取って代わられてしまったとき、それまでの人間的な“仕事”は意味を失って必要なくなってしまう、ということなのでしょうか。
私は訪問販売の営業もやりましたし、中国語を使って中国で商談をしたりもしました。最近は経理の仕事をしてきたのですが、そのいずれもが、将来人工知能の機能によって置き換えられていくのだと言われていますね。
これはつまり、近い将来、頑張って外国語を習得したり、必至になって仕事上求められる技術を身につける必要はなくなってしまうと言うことなのでしょうかね。頭の良いお方々の話によれば、本当にそうなってしまうということなのでしょう。
最近、実に下らない、でも結構考えさせられる映画を見たんですよ。
「26世紀青年」(原題:Idiocracy)
https://www.youtube.com/watch?v=clYwX8Z43zg
この映画、本当にアホらしい。
現代の最も平均的な若者が冷凍保存されて、人類全てがバカ化した500年後の未来に蘇生し、「植物を育てるには水が必要だ」という知識だけで大統領になる話。こう書いているだけでも、実にアホらしい。
この映画では人類がバカ化する説得力ある原因については何も語っていません。ただ単に現代社会ではインテリは“生殖”行為には無関心で、バカは頭の中が“生殖”行為でいっぱいだから、やがて世界はバカばっかりになると言っているだけです。
う~ん、ホントにそうなのかねぇ?
それよりも、まぁ、所謂ITというか何というか、昨今の技術革新によって人間が自ら努力しなくとも様々な仕事がそれによってできてしまうという環境の方が、よっぽど人間をバカ化してしまうのではないだろうか。
近い将来人間は、人工知能だとか何だとか言う技術の進歩によって、何だってできるかのような万能感を得ることができるのかもしれません。けれども、当の本人自体は全くの無能で、やたら万能感があるだけにバカ化してしまうかもしれない・・・なんて思ったりするんですよ、私は。
例えば、猛スピードで車を運転している運転手がそのスピードを得意がっているような話ですね。
「早いのはおまえじゃなく、車だろうが!」ということですよ。
仕事柄、農業の世界に接することが多かったのですが、本物の農家というものは、その場所で生きこなすための知恵と技術を身につけたプロです。全身で周囲の自然と相対して生きているのですから、それが当たり前ですし、それができなければ農家とは言えません。
まぁ、農家に限らず、本来仕事というモノはそういうものなので、プロ、つまりそれでお金を稼げるようになるには、必要とされる様々な知恵と技術を習得する必要があります。簡単ではないけれども、それが人間としての成長にもつながるわけです。
人工知能だとか何だとか言う技術が発達しても、そういうものは無くならないという人もいることにはいますが・・・そうなんですかねぇ。
そうだといいんですが。
落語の「藪入り」だとか「孝行糖」だとか、そんな話を聞いていると、本来人間という生き物は人間として生まれてきただけでは「人間」ではなくて、やはり世の中の役に立ってこそ初めて「人間」になるのだ、という哲学が昔の日本人にはあったような気がするのですよ。
そういう「人間」は、これから絶滅してしまうのでしょうかね。
やっぱりみんなバカ化しちゃうんじゃないですか?
どうなんでしょう?