通過儀礼か、懐かしいなぁ。

 大むかしの記憶なので、何時どこで読んだ何という本だったのかは忘れましたが、どんな社会であっても、伝統的な文化が守られている社会であれば、人間には必ず大人になるための通過儀礼のようなものがあるものだ、と書かれていたような記憶があるのですよ。

 確か、女の子であれば自分の身体自体が嫌でも性的に成熟していき、妊娠出産という劇的な体験を、まぁ、しない女性もいるわけですが、一般的にはするわけです。だから女性が大人になるのは比較的容易だと書いてあったような気がします。

 しかし、男の子はそう簡単ではありません。まさかマスターベーションで大人になることはないですからね。だから子供の意識のまま身体だけ出来上がっていってしまい、気がついたらとっちゃん坊やになってしまっていたりするわけですよ。

 男の子の通過儀礼というものは、だいたい自分の無力感を思い知らされるという経験から始まるのではないか、なんて思いますね。子供の時代、周囲の人間はとりあえず何をやっていても大目に見てくれますし、大した事でなくても、ちょっとしたことでベタ褒めしてくれたりするわけです。

 だから、反抗期になるとある種の万能感をもってしまう子供っていますよね。親や教師に暴力振るっちゃったりなんかしてね。それでも親や教師は必死に子供のケツを拭いてくれますからね。あれは単なる甘えに過ぎないんだけれども、そこで一発ガツンと叩きのめしてやらないと、男の子は大人になれないんですよ。

 前の戦争の前までは徴兵制なんていう仕組みがあって、そのガツンというのが有ったんだと思うんですよ。まぁ、近代以前の社会では15歳にもなれば大人扱いでしたし、丁稚奉公やらなにやらで、とにかく一人前に役にたつ人間になるまで鍛え抜かれたわけです。

 私は、バブル就職組なんで、まぁ、そんなに偉そうなことを言えるご身分では無いんですが、自分で好きこのんで飛び込み営業の世界に入って、何というか己の無力さを徹底的に味わいましたから、それ以降は幼稚な万能感なんて持ちようがなくなってしまいました。とにかくこの世界は実力が無ければ何を言ったってムダです。

 かといって、何の実力もない人間が生きていけないか、と言えば、そうでもないような気もしています。だいたい万人に秀でた才能を持つなんてのは、凡人には叶えられない夢のようなものですからね。では、そんな凡人はどうしたらよいのか。

 謙虚に真面目に生きる。
 それしか無いですね。

 でも、せっかく生きているんですから、死ぬ前にこれだけはできたなぁ、なんて思いたいですよね。そういう意味では、ちゃんとした価値観を持つことは大切ですね。

 ちゃんとした価値観かぁ、俺も難しいこと言ってるなぁ。
 まぁ、今日はもう寝るか。