管総理にお願いしたのはとにかく経済成長、ですね

 今日は休みなんで下らないことをつらつらと考えてみたりするわけですよ。まぁ、誰も見ていない寂しいブログですし、おそらく何を書いていてもいいはずですから。

 元大蔵官僚で数量経済学者の高橋洋一さんが、日本の場合2.5%だったか、そのくらいの失業率なら完全雇用を達成したと言っていいんですよ、と言っていたと思います。根拠はわかりません。でも、頭のいいひとが言うんですし、そうなんでしょう。

 それで、第二次安倍政権ではほとんどそれを達成しているんですよね。人によっては非正規雇用が増えただけとか、実質賃金が下がっているとか、色々と批判してるわけですが、何にしても仕事があるということは、仕事がないということに比べれば圧倒的にいいことなんです。

 私は、幸か不幸かバブルの終わり頃に就職をして、今日まで自己都合退職もリストラもなかったので、失業という経験はありません。このまま頑張ってしまえば定年まで行ける可能性は十分にあります。ちょっと傾いている業界にいて、今回の武漢肺炎ですから、会社自体がもつのかどうか心配ではありますが。

 長いことサラリーマン社会で暮らしていると、自分で事業をやっている人に比べたらずいぶん楽とは思いますが、それでも自分で仕事を作り出す能力があるかないかが、その職場の雰囲気や自分自身のモチベーションに大きな影響を与えていることに気がつきます。当たり前って言えば、当たり前すぎる話ですが。

 サラリーマンですから、ただそこにいて時間をつぶしていたって給料は出ます。仕事以外のことを考えて、心ここにあらずでも、終業時間になれば安心して帰宅できるわけです。時間外「労働」をすれば残業手当や休日出勤手当さえ出ます。

 それで会社を辞めさせられたら、外部労組なんかに駆け込んでいろいろ屁理屈をこねまわして未払賃金だ慰謝料だ何だと会社に請求することだって可能なんです。私自身、総務関係の部署にいたときに、そんなのを相手にしたことがあります。彼らのその後がうまくいったとは到底思えませんがね。

 世の中にはいとも簡単に大金を稼いでいるように見える人もいます。どこかに上手い方法があって指先をちょこっと動かすだけで数千万だの数億だのの金額を手に入れているように見える人もいます。

 いると思いますよ、確かにね。
 でも、それはあなたじゃない。
 少なくとも自分ではない。

 サラリーマンをやっていたって仕事というものの本質はわかります。それは誰かがそれを正当な意味で必要としているから成り立っているものです。誰も必要としていないのならそれは仕事として成立していません。場合によればそれは犯罪です。

 私も6年間やりましたから営業という仕事がどんなに厳しいものかよく知っています。とくに飛び込み営業は、まぁ、地獄ですな。精神的に弱ければ鬱病になってしまいますよ。私もなりかけましたからね。犯罪的な手法を使わなければ達成できないノルマをかけられたら耐えられないですよ。

 以前、資産運用のためのマンション購入を「押し売り」しにきた営業マンを相手にしたことがあるのですが、最初から社名や連絡先を提示しないし、玄関に延々2時間以上粘り続けるし、最後はヤクザまがいの上司を呼んできて恫喝するし、酷い目に遭ったことがあります。よくあんな営業させるものだと思いましたがね。

 断固として断り通しましたよ。
 何を言われても全部拒絶しました。
 こういう仕事は誰も必要としていない仕事ですね。
  
 今は右肩上がりの経済成長時代じゃないですから、楽に金が入ってくる仕事なんてほとんどありません。そんな社会の中で暴力的に、あるいは詐欺的に他人から金を巻き上げようという連中が湧いてくるのは無理のないことなのかもしれません。

 私ぐらいの年齢なら、ある程度それに抵抗することもできますが、高齢者がこれに抵抗したり、騙されないようにするのはなかなか大変なことです。だから、もう日本は経済成長しないんだ、などとしたり顔で言う人間を見ると虫唾が走りますね。

 何だか話があらぬ方向へ行ってしまいましたが、仕事というものは楽ではありません。そして仕事というものは自分で作り出すものです。これはサラリーマンであろうと自営業者であろうと変わりはありません。どちらにしても正当な意味で必要とされる人間になることです。

 大昔、中国に関係する仕事をしていました。
 今は流行らないですね。

 その頃、中国の南方のある地域の農業技術者と個人的にメールのやりとりをするようになったんですよ。日本の農業技術に強い関心を持っていて日本語を独習し日本の農業技術書を何とか手に入れて読んでいる在野の人でした。

 彼の熱意に押されて私も何十冊も日本の農業技術書を送ってあげたんですよ。そのうち、その中のある有機農業の本に目がとまったらしく、その本の著者を現地に呼びたいと言ってきたんです。

 何しろ国境を越えて中国ですから行ってくれる保証はなかったんですが、その著者に頼んでみたら二つ返事でOK。その後、その技術は現地で多くの農家に取り入れられていきました。多少手間のかかる方法だったのですが、当時の中国は(今でも、かな?)農薬や化学肥料を大量にぶち込むという乱暴な農業を展開してたので、問題解決のために必要だったのでしょう。

 しばらくして、私も現地に行く機会を得て、その技術が取り入れられている地域を見て回りました。ちょっとしたきっかけが大きく成長しているのを見て、多少感激したのですが、特に感動したのが現地の集荷場の責任者の一言でしたね。以前多かった癌や原因不明の病気が減ったって言うんですよ。

 別にこれで会社がボロ儲けしたわけではありませんが、何となくいい仕事ができたなと思えた瞬間でしたね。自分で勝手に進めた仕事でしたが、最終的にそれを認めてくれる上司もいて幸運でした。ある意味、サラリーマンだからこそできた仕事だったのかもしれません。

 私も定年の二文字が目の前に見える年齢になりましたが、うまくいかなかったことが山ほどあるにしても、これが自分だったんだなと思えるような人生になっていますね。他人にどう思われるかなんてどうでもいい、自分はこう生きた、といった感じですか。