万歳突撃の思想

 昨日は77回目の所謂“終戦記念日”でした。実際には敗戦記念日ですが、まぁ、何か自然災害でも終わったかのような、誰にも責任が無かったかのような、徹底的に自分たちを叩きのめした相手がいなかったかのような表現をして、日本人は現実から逃げてきたということなのでしょう。

 日本人は困難な現実から逃げるという精神的な癖がありますよね。核兵器を持って他国を脅したり、侵略したりする極悪国家が近隣に三つも揃っているのに、未だに自国の防衛を担う組織を合憲化できないんですから。それなりの規模を持っている国家としてスタンダードな国防論議をすると右翼扱いされてしまうんですから。

 今日は2014年に別のブログに書いた文章を再掲載します。その時の題は「万歳突撃の思想」でした。安倍元総理が暗殺され、中国の台湾侵略が迫った77年目の“大東亜戦争敗戦の日”になっても、依然として内容的に通用すると思っています。
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万歳突撃の思想(2014年3月1日)

 『ここは重要ですね。大正時代の帝国陸軍首脳が「これは参った」と真剣に悩んだのは、技術の質的な模倣ではなくて、まさに近代的マスプロの規模の問題、国内重工業の「段階」の未熟さであったと思います。

 たとえば日露戦争満州平野では、師団砲兵の主力であった七五ミリ野砲に発射させるタマの供給が、全く間に合わなくなってしまった。開戦前まで、普仏戦争におけるプロイセンの砲兵隊の消耗費量を基準に考えていて、砲弾も砲兵工廠だけで作っていたのですが、それでは到底、足りはしなかったわけです。(中略)

 ところが、それから九年後、大正三年に始まった第一次世界大戦では、奉天戦の数十万発砲弾のごとき、わずか一日で射耗される分量にしかすぎなくなった。それを、英、仏、独、それからのちには米国の工業界は、簡単に供給してのけたのです。この「量」に関するリポートこそが、日本陸軍の首脳を驚殺した。(中略)

 あの山県有朋が、第一次世界大戦を境にして、すっかり判断力が曇ってしまうのも、この「量」の格差の問題をなんとかしてくれる有能な「配下」が、国内に見つからなかったためです。それで、小銃が主体だった奇兵隊の地金を出し、「和服にタスキがけでも戦争はできる」と、増師問題で自分なりのレトリックを言い出さねばならなかったことは、何とも哀れでした。

 マル経風な言葉を使えば、これが昭和陸軍の「下部構造」であった。そこから「弾惜しみ」という世知辛い必要が生じ、そこから「白兵賞揚」という軍隊内部の教育方針が、やむをえず生じざるをえなかったのでしょう。』(「坂の上の雲では分からない 旅順攻防戦 乃木司令部は無能ではなかった」別宮暖朗著 [対談]兵頭二十八 並木書房 P26~P28)

 文中にある「白兵賞揚」の“白兵”は、銃剣など刃物を主として用いる近接戦闘のことです。戦後一時期の日本映画でよく描かれてきた、日本兵の突撃シーンを思い浮かべれてもらえば、この「白兵」の意味は分かります。日本軍、あるいは日本陸軍とくれば、「肉弾攻撃」とか「万歳突撃」、「玉砕戦法」などといった単語が必ず連想されるようですが、これは決して日本軍の将校や兵士が、狂信的であったわけでも愚かであったわけでもありません。この別宮暖朗さんの著書で兵頭二十八さんが述べているように、第一次世界大戦のような天文学的規模の弾薬を消耗する物量戦に対応できるような基礎的工業生産力を日本が持っていなかったためです。

 それでも当時の欧米列強が進めていた世界規模の植民地獲得戦争に対抗して日本の不羈独立を守るためには、日本も相応の軍事力でそれに対抗しなければなりませんでした。そこで強調されだしたのが“精神力”だったということでしょう。貧乏だった日本の悲しい現実ですが、私たちのご先祖様たちはこの国を守るために必死だったのです。私はそれを狂信的とも愚かとも思いません。

 当時の日本軍にとって、近代的な軍隊としての理想はやはり十分な火力や機動力をもった、機械化された軍隊であることに変わりはありません。それは、国威発揚を目的として作られた当時の戦争映画を見ればよく分かります。「土と兵隊」にしても「上海陸戦隊」にしても、決してファナティックな白兵突撃のシーンはありません。戦闘の勝敗を決する最後のシーンでは銃剣をきらめかせて突撃しますが、これは当時の他国の軍隊でも同様でした。これらの映画は“宣伝”として描かれたものであるにしても、兵士の命はそれ相応に大事にされているし、指揮官が訳の分からないことを怒鳴り散らしながら無謀な命令を出すこともありません。

 戦後の日本映画が描いてきた日本軍の姿は、これに比べるときわめて非理性的です。闇雲に怒鳴る上官、銃剣を抱えて走り回るだけの、まるでヤクザの喧嘩のような兵士たちの動き、敵に対する根拠の無い優越感や横暴な態度。もちろんそういう傾向が無かったとはいいませんが、光人社のNF文庫に収録されている実際の戦争を経験した方々の記録を見る限り、当時の本物の日本兵の行動や思考は、現在の私たちと比較しても特に違和感を感じるものではありません。いたって普通です。

 上掲の文章は兵頭さんの発言部分ですが、私はこういう話を聞くたびに、日本人の精神的土台に、言ってみれば「万歳突撃の思想」のようなものが、戦前戦後を通じて大きな影響を与えているような気がしてならないのです。その最も典型的なものが特攻です。もちろん私は特攻に殉じた方々を貶めるつもりは一切ありません。私が問題にしたいのは、特攻を立案した軍上層部に「万歳突撃の思想」が色濃く存在していたことです。要するに、直面する複雑な問題に対処しきれなくなり、そのまま思考停止に陥り、一種の精神的パニック状態になりながら、単純な結論にすがりついて劇的で短絡的な行動をとってしまう思考方法が特攻を生み出したのだと思うのです。

 当時の日本軍に「万歳突撃の思想」が色濃くあったからといって、上から下までそうだったなどと言うつもりはありません。たとえば栗林中将が率いた硫黄島守備隊です。最終的には必ず敗北する、つまり死ぬ、という恐ろしい重圧を感じながら、彼らは指揮官から一兵卒まで一丸となって合理的で堅固な守備陣地を作りあげ、アメリカの大規模な攻撃に対して、最後の最後まで粘り強く戦い抜いたのです。ペリリュー島や沖縄もそうでした。空の闘いでは、美濃部正少佐が率いた芙蓉部隊の戦いもきわめて冷静で合理的なものでした。

 彼らに共通しているのは、直面する複雑な問題を真っ正面から冷静に見つめ、収集可能な情報を全て収集して正確な状況を把握し、整えることの出来る条件は全て整え、劇的で短絡的な行動を慎み、最後の最後まで粘り強く戦い抜くという姿勢です。

 戦争だけではありません。どんなことをやる上においても、何かを達成するためにはこの姿勢は絶対に必要です。日本人には本来このような精神が備わっているのです。今回の冬季五輪で見せた浅田真央さんの最後の演技や葛西紀明さんのジャンプにそういうものを感じないでしょうか。あるいは東日本大震災の時に見せた東北の方々の行動にもそういう精神が明確にあったのではないでしょうか。そもそも、アメリカ軍の大規模な空襲によって二度と立ち上がれないと考えられたほどの国土の破壊を被りながら、戦後奇跡の復興を成し遂げ、世界第二位の経済力を持つまでに発展できたのも、まさに日本人のこの種の精神の賜だったといってよいのではないでしょうか。

 ところが、日本人は時々思い出したように「万歳突撃の思想」に支配されてしまうことがあります。特攻という作戦が始まってからしばらく経つと、陸軍でも海軍でも、それを否定するようなことが口に出せない雰囲気になっていったということが様々な記録に書かれています。それは、芙蓉部隊指揮官の美濃部正少佐が、沖縄戦に関する会議で、練習機を使用した特攻に全く効果がないことを論理的に主張した際に、軍法会議にかけられることを覚悟していたということでも証明できます。「万歳突撃の思想」には、このような「同調圧力」がつきもののようです。もともと「万歳突撃の思想」には論理的に積み上げられた理論的土台がありません。だから、それに同意させるには「同調圧力」を使う以外、他に方法が無いのです。

 さて、私は所謂「戦後秩序」あるいは「戦後体制」といったものも、この「万歳突撃の思想」の産物だと思っています。その代表が日本国憲法です。世の中には九条の会なる組織があるようですが、この手のサヨク団体は、基本的に《;憲法改正=戦争》と主張しています。日本国憲法を改正(彼らにとっては“改悪”ですが)したら、日本はすぐさま他国に戦争を仕掛けるようになるというのです。そして、人々に「憲法を守りますか、それとも戦争をしますか」という、きわめて刺激的で短絡的な問いかけをしています。人間誰しも意味も無く戦争などしたいとは思っていません。したがって、この問いかけへの答えは「憲法を守る」でしかないわけです。問いかけ自体が「同調圧力」的です。

 でも、冷静によく考えてみてください。仮に日本国憲法の、特に問題になっている第九条を改正して国の交戦権を認めたところで、日本がすぐに対外戦争を始めることになると思いますか。安倍総理が、彼らの言うように「極右」の「独裁者」であったとしても、一国が対外戦争を始めるには、相応に長い準備期間が必要なのです。また、戦争は国民に死の覚悟をさせるということなのですから、国民が納得できる目的を提示できなければなりません。つまり、実際のところ、第九条を変えた程度で簡単に戦争などできるわけがないのです。「日本国憲法を守れ」と宗教教義のように叫んでいる連中のレベルは、特攻を批判した美濃部正少佐に対して「必死尽忠の士の進撃を何者がこれをさえぎるか、第一線の少壮士官が何を言う」と怒鳴りつけた参謀と同じレベルだと、私は思うのです。

 そうわかっていても「日本国憲法を守れ」には強い同調圧力があります。
 日本には憲法改正に賛成する人間をあたかも右翼の戦争バカ扱いする雰囲気が依然として強く存在するのです。

 脱原発もそうです。私はこれも「万歳突撃の思想」が生み出したものだと思っています。福島第一原子力発電所の事故は確かに衝撃的でした。現在でも汚染水の流出があり、新聞やテレビがセンセーショナルに報道しています。しかし、よくよく情報を調べてみれば、漏れ出している汚染水の汚染レベルは、欧米の正常運転中の原発から放出されているレベルより高いとは言えないとも言われています。福島県の非避難地域の汚染レベルよりも西日本の汚染レベルの方が高くて、その原因は過去50回近く行われた中国の核実験によるものだとも言われています。言われてみれば、その通りです。核実験は隔壁の中で行うわけではありません。50回近い核実験が行われたということは、50回近い大規模な原発事故が起きたのと同じことです。

 札幌医科大学の高田純教授の推計によれば、中国に占領されているウイグル東トルキスタン)で行われた核実験によるウイグル人の犠牲者は19万人に及ぶとなっています。黄砂やPM2.5だけではなく、放射能汚染物質も中国から西日本へ流れ着いているということです。

 現在日本は全ての原発をストップさせているので、止めていた火力発電所も使って電力供給をしています。海外からの燃料輸入の額は3兆円から4兆円に達しようとしています。それだけアメリカの石油メジャーをぼろ儲けさせてあげているわけです。そういえば、今回の都知事選に立候補した細川護煕を担ぎ出した小泉純一郎はずいぶんブッシュ大統領と仲がよかったですね。確かそのブッシュ大統領の後ろにはアメリカの石油メジャーがいたのではなかったかしら。それで「脱原発」ですかね。いずれにしても、《原発放射能=怖い》という誰もが反対しがたい公式の前に大半の日本人が思考停止状態です。そして、少しでも再稼働を許容するような発言をしようものなら、鬼の首でも取ったように批判されるわけです。

 私自身、別に原発推進派というわけではありません。段階を決めて代替エネルギーの開発を進めながら、原発依存度を下げていくことには賛成しています。しかし、「原発即廃止」には賛成しません。これは、サヨクの「平和主義」と同じニオイのする言葉です。つまり、戦争や戦争にまつわる全ての事柄を目の前から無くしてしまえば戦争は無くなるというような発想です。あたかも自分の頭の中からそれにまつわる全ての記憶や知識を消してしまえば、現実にもそれが無くなってしまうかのような宗教的錯覚です。まさにこれこそが「万歳突撃の思想」なのです。問題があるならなおさらそれについてしっかり対処していかなければなりません。劇的かつ短絡的に物事を変えてしまうことは出来ないのです。

 今日は長くなったのでもうやめますが、河野談話の再検証問題も同じだと思います。今さら再検証するなんて恥の上塗りにすぎないという意見も見受けられますが、これは恥の問題ではありません。事実を究明するかしないかの問題なのです。そこに嘘があるなら、日本人の名誉にかけて「それは嘘です」と言わなければならないのです。百年、千年かけてでもそれを究明するという粘り強さが求められる問題なのです。思考停止に陥ってはなりません。

 疲れました。
 もう寝ます。
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 この文章を書いてから8年以上経ちました。
 8年経っても、この国は何も変わりません。
 いい加減、変えましょうよ。