人口侵略の光景 その三

 イリシャット・ハッサン・コクボレさんの『維吾爾雄鷹 伊利夏提① 中国植民統治下的「東突厥斯坦』P206の「為什麽是烏魯木齊火車站」という文章の最後の部分の翻訳を続けます。

 ある種の絶望的感覚というものを、私はこのイリシャットさんの文章から感じるんですよ。とにかく大量の漢民族が途絶えること無く自分たちの“国”に押し寄せてくるんです。最初はごく少数の飢えた哀れな人々にすぎなかった連中が、やがて社会の至る所で権力を掌握して支配者として君臨していく。この奔流に抵抗することの難しさ。

 文中にある“政治的移民”とは、中国が東トルキスタンを占領するために送り込んでくる漢民族の移民のことです。過剰人口で溢れかえっている漢民族の他地域への棄民政策といってもよいのかもしれません。これは東トルキスタンチベット南モンゴルだけがターゲットではありません。日本もそのターゲットの一つと考えなければなりません。

 それでは最後の部分の訳文です。
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投げ捨てたいくらい大量の政治的移民

 鉄道や列車に関するお話がもう一つある。それは一種の政治的ブラックユーモアのようなもので、たしか80年代後半のものだったに違いない。

 話の内容はこんな感じだ。ウルムチに向かっている客車の四人がけの座席にアメリカ人、日本人、ウイグル人、そして漢民族の移民が一人ずつ座っていた。列車の走行中にアメリカ人がケント(タバコ)を取り出してちょっと吸っては捨て、またちょっとすっては捨てていた。我慢できなくなった日本人がアメリカ人に「何だってちょっとしか吸わないで捨ててしまうんだ?」と尋ねると、アメリカ人は自慢げに肩を怒らせて「アメリカではケントなんて珍しくもないし、安いんだ。捨てたってかまわないのさ。」と答えた。

 これを聞いて腹を立てた日本人は、手に持っていたパナソニックの小型ラジカセを放り投げた。それを見たウイグル人が日本人に「何やってるんだ?何だってラジカセを捨てたんだ?」と尋ねると、日本人は尊大ぶって「日本にはパナソニックのラジカセなんていくらだってあるし安いんだ。捨てたってかまわないのさ。」と答えた。

 するとウイグル人は立ち上がって何とも仕方なさそうな表情で周囲を見渡し、近く座っていた漢民族の移民をつまみ上げて窓の外に投げ捨ててしまった。アメリカ人と日本人は慌てて問いただした。「あんたいったい何をしてるんだ?何だって人間を投げ捨てたんだ?」これに対してウイグル人は決然とした様子で答えた。「俺たちのところは政治的な移民が多すぎるんだ。だから見つけ次第捨てたってかまわないのさ。」

 いずれにしても、鉄道、列車、駅は、ウイグル人にとって植民と侵略の象徴でしかない。列車の発する音は、東トルキスタンの人々を虐殺する植民地政府の銃声や砲声と同じなのだ。ウイグル駅に次々と侵入してくる列車は、ウイグル人にとっては、略奪と搾取、そして政治的移民の洪水のごとき流入を意味しているに過ぎない。

 少しでも考える力があるウイグル人なら皆知っていることだが、漢民族の政治的移民の人口は、1955年にウイグル自治区成立時には10%に満たなかったが、現在では東トルキスタン全人口の半数にまで増加している。これら漢民族の政治的移民は、次々とやってくる列車に乗って途絶えることなく東トルキスタンに運ばれてきたのである。

ウイグル人は自分たちを守るには鉄道を爆破するしかない

 したがって、大多数のウイグル人は、まさに中国では知らぬ人がいない小説『鉄道遊撃隊』が描く鉄道遊撃隊員のメンバーのように、「侵略者を乗せてきて、資源を奪っていく」鉄道、列車、駅を憎んでいる。一稼ぎするために途絶えることなく流入してきて、定着した途端に尊大暴虐になって植民地政権の手下になっていく政治的移民たちについては、さらに強く憎んでいる。

 大多数の単純なウイグル人は、鉄道や列車、駅さえ無くなれば、あるいは爆破でもして列車の運行を阻止すれば、政治的移民は減少し、東トルキスタンの資源に対する大規模略奪もなくなると考えている。だから、鉄道、列車、駅は早い時期から反抗的ウイグル人の目標になってきた。成功したものもあるし失敗したものもある。成功した事件は共産党植民政府によって隠蔽されているに過ぎない。

 小さい頃から私は鉄道区の多くのウイグル人の仲間たちと上記のような鉄道や列車に関する話を聞いてきた。無知蒙昧で尊大暴虐な連中の極端な蔑視の中で、私たちは漢民族化教育を受けながら成長してきた。70年代から80年代にかけて鉄道労働者の給与水準は他の業種よりも高かった。この時代に私たちは幼少期を過ごしてきたが、自分が鉄道労働者の子供であることを誇りに思ったことは一度も無い。

 それどころか、私たちは小さい頃から毎日漢民族中心の学校の中で民族的弾圧や差別を直接感じてきた。そして小さい頃から、大人になったらきっと星星路線やハミ駅を爆破してやるぞとお互いに誓い合い、吹聴しあっていた。私たちの資源を中国政府の略奪から守り、中国の政治的移民を阻止するには、そうするしかないと思っていた。

 小さな子供がこの様な極端な考え方を抱いているのだとしたら、鉄道や列車、駅がウイグル人の心の中でどの様にイメージされているのかを想像するのはさして難しくないだろう。この様に考えてくれば、430爆破事件を起こしたウイグル人の勇士が、なぜウルムチ駅を彼らの攻撃目標に選んだのかも容易に理解できるのではないだろうか。

(本文は2014年12月16日博訊新聞網に発表したもの)
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 まともな漢民族中国人がいることは知っています。安倍元総理の暗殺について、中国のSNS上には“祝福”のメッセージが溢れているそうですが、それを苦々しく思っている中国人もたくさんいるわけです。ただ、彼らの正常で常識的なメッセージは中国共産党に洗脳された連中によって一斉攻撃されて排除されてしまうのです。

 東トルキスタンを支配する漢民族中国人のマイノリティの感覚も、この正常で常識的な感覚に対する一斉攻撃と似たような性格を持っています。それが中国共産党による洗脳の恐ろしさなのです。まるで大繁殖して攻撃的になったイナゴの群れのようなものです。今後の世界は、このようなカルト国家中国と、どのように対峙していくかという大変な課題に向き合っていかなければなりません。

 

 それを理解している日本人って、いったいどのくらいいるのだろう?

人口侵略の光景 その二

 それにしてもひどい事件が起きたものだと思います。日本の憲政史上おそらく最も国民から信頼された安倍晋三元首相が暗殺されてしまいました。

 たとえば政治的立場の異なる勢力や外国勢力によるテロによるものであれば、自分としてもそんなこともあり得るのかもしれないと納得できるのですが、報道から伝わってくる犯人像は、確たる根拠のないデマ情報に簡単に踊らされてしまうタイプの“凡庸な狂人”のような感じですよね。

 これは耐えられないですよ。世界中がその急逝を惜しみ追悼している人物を殺した人間が“ただのアホ”なんですから・・・・・・・。

 

 ※その後、犯人について色々とわかってきました。母親が宗教団体にはまっていて、財産をだまし取られたとか、兄を自殺で失っているとか。まぁ、同情するようなところもないわけではありませんが、しかし、だからといって人を殺していい、ということにはならないですね。

 

 これから日本は迷走していくことになるんでしょう。
 それでも、がんばって生きていくしかないですね。

 気を取り直してイリシャット・ハッサン・コクボレさんの『維吾爾雄鷹 伊利夏提① 中国植民統治下的「東突厥斯坦』P206の「為什麽是烏魯木齊火車站」という文章の翻訳を続けていきます。
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列車の音を風刺しただけで逮捕され刑罰を受ける

 「東トルキスタン鉄道システム」は、新疆兵団や中国石化と同様に中国共産党漢民族植民地政権によって徹底的に支配され、中国共産党植民政権の政治的利益のために存在する植民組織であり、漢民族の政治的移民のためのものなのだ。自治区の鉄道システムに一人か二人ぐらいのウイグル人副局長や何人かのウイグル人副段長がいるとしても、全て名前だけのものであり、実権をともなうものは一つもない。簡単に言うと、鉄道、列車、駅は、ウイグル人東トルキスタンの土着民族とほとんど関係がない。

 私自身鉄道労働者の家庭で育ち、親兄弟も皆鉄道システムの中で仕事をしていた。小さい頃から多くのウイグル人が鉄道、列車、駅についての話しをするのを聞いてきた。最近流行っている話がある。「鉄道がウイグル自治区に入ってくるとき、どうしていつも長々と汽笛を鳴らすのか?ウイグルから離れるときとても重々しい音を立てるのはなぜなのか?」という話だ。

 ウイグルの知識人の答えはこうだ。「なぜなら列車がウイグルに入ってくるときは、貨車の中は資源を積み込むために空っぽで、客車にぎっしりと乗り込んでいる流浪の群れはひどく飢えているからさ。だから列車が私たちの豊穣な東トルキスタンに侵入してくるときは長々と汽笛を鳴らすのさ。『腹減った、腹減った!俺たちは金や銀や鉱物資源が必要なんだ、食い物がほしいんだ、腹いっぱい果物を食べたいんだ!』ってね。」「列車が中国に帰っていくときは、ウイグルのものをたっぷり食らって奪って苦しそうに息を荒げて叫ぶんだ。『食った、奪った、腹も荷物もいっぱいだ。重たくってたまらない、引っ張っていくのは大変だ!』ってね。」

 列車の音を風刺したこの話はウイグルで広く流行した。特にウイグル人の鉄道労働者の間では知らぬものがないほどだった。聞くところによると、この話を作ったというウイグル知識人は、地方民族主義者という罪名で逮捕され行方不明となったという。

鉄道はロバを運んでいき山ほど漢民族を載せてきた

 この話のともに、最初の世代のウイグル人鉄道労働者が目撃したのは「本当に哀れな漢民族、飢えた大量の難民が列車にへばりついて東トルキスタンにやってきた」というものだ。鉄道がウイグル自治区に到達した時期は、中国共産党による所謂「大躍進、三年自然災害」の時期と重なっていた。鉄道が開通すると中国共産党政権による秘密裏の政策によって、陝西省甘粛省から大量の飢餓難民がウイグル自治区に押し寄せてきた。特に鉄道沿線の各都市は最初にこの流民の群れに接することになった。

 鉄道の「労働者食堂」に勤務していたあるウイグル人が私にこんな話をしてくれたことがある。当時陝西省甘粛省の大量の難民がハミ地区の各街に押し寄せ、駅の周囲は難民であふれかえっていたという。良心的なウイグル人鉄道労働者の多くが食事を準備して彼らにも分けてあげようとした。もともとは分けてあげるはずだったが、押し寄せる難民によって全ての食べ物が食べ尽くされてしまうことも度々あったという。あるとき、ウイグル人労働者がうっかり食べ物を地面に落としてしまった。するとたちまち飢餓難民が這い回って全て食べ尽くしてしまったという。

 このウイグル人鉄道労働者はこうも言っていた。これら漢民族の飢餓難民を助け、食べ物を用意したのは、多くの場合単純で善良なウイグル人たちだった。漢民族の鉄道労働者は彼らを助けることをほとんど拒否していたという。彼はいつも「まったく、俺たちウイグル人は単純で人が良すぎる!」という言葉でこの話を締めくくっていた。

 鉄道についてはもう一つ別の話がある。おそらく80年代のものだ。当時ウルムチ駅には毎日大量の貨物列車が東トルキスタン南部地域で生産されたロバを満載して中国へ運んでいた。一方で毎日決まったように仕事や儲けを目的にした大量の漢民族移民がウルムチ駅に次々と入ってきていた。

 あるウイグル人知識人に質問した人がいる。「いったい何だって毎日毎日こんなにたくさんのロバを中国に運んでいくんだ?」このウイグル人知識人は馬鹿にしたような口調でこう答えたという。「これはウイグル自治区が現在進めている物々交換さ。自治区のロバ一頭につき漢民族の移民10人というわけさ。」聞けばこのウイグル人知識人も、この発言のために逮捕され行方不明だという。
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 大躍進政策が引き起こした中国全土の飢餓によって数千万人の中国人が命を落としたと言われていますね。中国共産党は飢餓による犠牲者の人数を把握しているのでしょうが、外部の人間には実際のところどの程度の犠牲者が出たのかはわかりません。ちょうど89年の天安門事件の犠牲者がよくわからないのと同じです。

 隠蔽、隠蔽、隠蔽。ねつ造、ねつ造、ねつ造。共産主義は人間の頭の中まで支配しようとするイデオロギーですから、共産主義者から発進される情報に信用できるものは一切ありません。それは日本共産党でも同じ事です。正しい情報は党中央が把握し、党中央が”正しい”判断をするのだから、人民はそれに従うだけです。

 通常、これはファシズムと呼ばれていますが、彼らはそれを民主主義と呼んでいるのです。安倍元首相が言った“こんな人たち”とは、こういう真実と嘘が転倒したイデオロギーを信仰しているカルト信者だったのではないでしょうか。

 

人口侵略の光景 その一

 引き続きイリシャット・ハッサン・コクボレさんの『維吾爾雄鷹 伊利夏提』シリーズを読んでいます。現在は第二巻『維吾爾雄鷹 伊利夏提② 従中国出走與在美国重生』の後半部分を読んでいます。第二巻は第一巻より中国語的にはちょっと難しくなったでしょうか。

 第二巻では、イリシャットさんの学生時代の回想、イスラム教信仰への目覚め、東トルキスタンという祖国意識の覚醒、中共独裁政権の民族抑圧政策と家族親族の悲劇的運命、そして亡命。そうした事柄が紹介されています。

 東トルキスタンは日本人にとっては遠い遠い見知らぬ国です。そこで起きている悲劇についても、どこかお伽の国の夢物語のように感じてしまうのも、無理はないのかもしれません。しかしイリシャットさんのこの本を読んでいると、そういう距離感がなくなっていきます。

 東トルキスタンで起きた悲劇の、最大の要因は漢民族による「人口侵略」です。第一巻のP206から「為什麽是烏魯木齊火車站」という文章が始まります。ここに1960年前後の飢餓の時代に大量の中国人がウイグルに押し寄せた光景が描かれています。ウイグル人は優しい人々なので彼らを迎え入れ食べ物や住む場所を用意してあげたりしたようです。

 ところが、その後様子が違ってくるわけです。「軒先を貸して母屋を取られる」という現象が東トルキスタンで始まるのです。その先兵になるのが鉄道であり、新疆兵団です。これは教訓として日本人が知っておくべき歴史的事実ですね。

 日本でもひたひたと「人口侵略」が進んでいる・・・のではないでしょうか。
 今回の選挙では、その辺も考えて投票したいものです。

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なぜウルムチ駅だったのか?

一般の人間は近寄れない政府の建物

 2014年12月8日、中国共産党植民地政府はウルムチ中級法院において秘密裏にイリハム・トフティ教授の八名の学生の裁判を行った。その同じ頃、この中級法院では430(4月30日)ウルムチ駅爆破事件及び522(5月22日)ウルムチ公園北街爆破案に関与したとされる容疑者十七名のウイグル人の裁判も秘密裏に行われていた。判決は八人が死刑、執行猶予付き死刑が五人、無期懲役が四人だった。

 もともと私は早くからこの爆破事件について自分なりの見方を持っており、私の知り得た事実について皆さんにお話ししたいと考えていた。ところが他の要件で忙しく、なかなかそれができなかった。その後、この二件の爆破事件は過去の出来事となってしまい新鮮さも失われてしまった。そこで私は判決が出次第文章を発表しようと考えたけれども、やはり様々な原因で遅くなってしまった。

 今日は、430ウルムチ駅爆破事件と522ウルムチ公園北街爆破事件の重大判決が出てから一週間だけれども、やはりもう新鮮さはないかもしれない。しかし私は考え直してみた。爆破事件の背景やウイグル人の見方、あるいはいくつかの事実について語ることは、もしかしたらウイグル人の考え方についてよく知らない大部分の中文読者にとって、すこしは参考になるのではないかと思い、この文章を書くことにした。再度書くことによって、ウイグルのために生きる者として、私の記念にもなるだろう。

 先ず最初の疑問点。なぜ爆破事件の場所はウルムチ駅とウルムチ公園北街だったのか。多くの人が、なぜ暴虐な殺人鬼である共産党の軍警や兵営ではなかったのか、なぜ見かけは真面そうな共産党の高官たちが集まる党委員会や政府庁舎ではなかったのか、と思うだろう。あるいは暴利を貪る汚職官僚の乗る乗用車ではなかったのか?

 皆さんも明確に知っているとおり、祖国に殉ずるウイグルの勇士たちは言わずもがな、歎願直訴をする漢民族の庶民でさえ、整然とした共産党の党委員会や政府庁舎に近寄ることはできないし、まして高官が乗車する高級乗用車など論外。共産党の番犬・・・軍警やその兵営に接近することに至っては完璧に不可能だ。

 そうでないならば、共産党政権が「うつ病であり世の中に不満を持っている」として簡単に罪名をつけてさっさと処理してしまう漢民族の暴徒は、どうして幼稚園や貧しい人々を満載した路線バスを襲撃対象に選ぶのだろうか?

鉄道は中央政府が管理し中国共産党が資源を略奪

 鉄道、列車、駅の設置は、多くの民族にとっては、現代化、新文明、豊かさ、発展の始まりを意味している。鉄道による輸送は、人々と貨物の交流の増加を加速化させ、それと同時に新しい思想や新しい文明ももたらされる。多くの民族は、新しい文明や新しい思想、民主主義や自由といった普遍的価値をもたらす鉄道、列車、駅に誇りを感じるだろう。

 中国を例とすれば、鉄道、列車、駅は、中国現代化啓蒙運動・・・「洋務運動」の一部となるだろう。民主主義や自由といった新文明は、最後まで鉄道に伴う現代化の象徴となり中国に根付くことはなかったけれども、やはり多くの中国人が自分たちで作った世界最長の鉄道や列車に誇りを感じているだろう。

 しかし、ウイグル人いとって、そしてウイグルのその他の土着民族にとっては、様相が全く違っている。現代化を象徴している鉄道、列車、駅は、ウイグル人にとって、そしてウイグルのその他の土着民族にとっては、侵略と虐殺と略奪、そして被差別化を意味していた。そして、洪水のごとく押し寄せる漢民族の政治的移民によって、ウイグル人は自分たちの土地にいながら日を追って貧しくなっていった。

 現代化を象徴する鉄道、列車、駅は、ウイグル人ウイグルのその他の土着民族に何らの新文明ももたらさなかった。民主主義も自由も、現代化に伴う豊かさも発展もなかった。有ったのは、思想的には時代逆行や愚昧、保守、政治的には人々を窒息させるような独裁統治下の虐殺と圧政、経済的には徹底的な略奪と搾取、生活的には大規模で広範囲な極貧化でしかなかった。

 このため東トルキスタンでは、ほぼ全てのウイグル人が鉄道、列車、駅に何の誇りも感じていない。鉄道関係の仕事をしているウイグル人でさえ誰も何の誇りも感じてはいないのだ。
 「東トルキスタンの鉄道システム」は、中国共産党政権「鉄道部」所属の派遣組織であり中国中央直属の組織として、ウイグル自治区の管轄範囲外にあり、その運行についてウイグル自治区には関与する権利がない。「東トルキスタンの鉄道システム」は、新疆兵団や中国石化など中共中央直属の組織同様、完全に独立した「国中の国」となっている。彼らは中国共産党が勝手気ままに東トルキスタンの資源を略奪するのをサポートしている。彼らは中国共産党政権の東トルキスタンの各民族に対する植民地政策の実行をサポートしているのだ。
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 この話、まだ続きます。

六四天安門事件記念館建設計画

 今日は2022年6月5日。昨日は1989年6月4日に中国北京で起きた1989年6月4日天安門事件の33周年記念日でした。もう33年経ったんですね。俺も歳をとったもんだな。当時は確か23歳の「若者」で、北京の東の郊外にポツンと建っていた語学系の学校に留学中でしたね。まぁ、片田舎も片田舎、北京到着初日に北京空港から学校までの間、留学生を乗せたバスとすれ違ったのは荷車を引いた“馬車”だけという場所でしたからね。

 アットホームな留学生宿舎でしたよ。各国の留学生を合わせても、たぶん200人もいなかったと思いますね。当時は日本人が一番多くて40人~50人ぐらいでしたか。いつも集団行動をしていたロシア人(当時はソ連人)以外は、全員すぐに顔を覚えてしまえるほどでした。今思えば長閑な時代で、学校の北と南の大通りの向こう側はほぼ全て一面の畑。北京市街へはエンコしがちなバスで20分~30分ぐらいかかりましたね。

 機会があって2000年代にその学校に訪問したのですが、すっかり市街地になっていて、たしか南門の前には高速道路が開通していましたね。まるで見知らぬ場所になっていて、浦島太郎状態。それでも校内に入ると懐かしい留学生宿舎(女子学生宿舎になっていました)や、何となく見覚えのある校舎がまだあってホッとしましたね。何だかんだ言って、当時の日本とはまるで別世界でしたから、思い出すとやはり胸が熱くなります。

 バブル時代の大学生ですから、ほぼ政治的感覚ゼロの坊やですよ、当時の私は。そもそも第一外国語に中国語を選んだのだって「漢字なんだから簡単だろう」という極めて安易な動機です。まぁ、本多勝一小田実は読んでいましたし、そういう左系の知識人の文章に感化されていた部分もありますから、完全にノンポリというわけではありませんでしたが、あの当時の二十歳そこそこの知識なんてそんな程度のものです。

 1989年の4月頃でしたか。そんなボンクラな日本の坊やが道ばたで売っていたアイスをかじりながら北京の街を散歩していたんですよ。そうしたら、後ろの方から学生の集団が何か叫びながら集団で歩いて来たんですよ。何だべな、と思いながら眺めていたら、その学生集団の一人が私に向かって何か叫んでいるですよ。どうやら「こっちへ来い!」と言っているようなので、とりあえず彼のそばまで行ってみたんです。

 「おまえ、何ぼうっと歩いてるん?」
 「いや、まぁ、ちょっと買い物で・・・」
 「おまえ、どこの学生だ?」
 「○○学院・・・、でも日本の留学生だ」
 「日本人でも今は中国の学生だよな?」
 「はぁ?」
 「こっち来て参加しろ」

 たぶん、そんな会話だったと思いますが、私も「そんな無茶苦茶な!」とは思いましたが、おもしろそうだったんで、そのまま彼らについて行ったんですよ。それで、いろいろ話をしましたよ。中国語のレベルが追いつかなかったので半分以上は筆談でしたか。とにかく「民主主義万々歳」の彼らの話は、日本についてもベタ褒めで、私にしてみれば「おいおい、そりゃちょっと褒めすぎだぁ・・・」と思ったものでした。

 学生というものはまだ社会経験がありません。一般的にはね。だからどうしても頭の中の空想論になりがちです。でも社会人は違います。毎日毎日現実と向き合って生きていますから話は具体的だし、そこから導き出される論理はかなり的確なものになります。いずれにしても私の中国語のレベルに問題があったので完全に把握できたわけではありませんが、当時いろいろと見聞きした事をまとめてみると、彼らの言いたかったことは至って単純なことだったのではないかと思っています。

 共産主義社会ですよ。自由民主主義の社会に生きている人間には実感を持って想像できないことなのですが、彼らに私有財産はないんです。そのことをイデオロギー的に肯定しなければならないので、実は思想の自由もないし、場合によっては感情すら自分の自由にはできないのです。つまり、どう思うのか、どう感じるのかも共産党が決めるんですよ。そこから外れることは「反革命」であり、打倒の対象です。

 自分の考えや意思にかかわらず、1949年以降中国人はそういう世界に放り込まれたわけです。それが理想であるということで、中国人は自分の私的財産を全て取り上げられ、思想も感情も共産党の判断に委ねることになったのです。妥協の余地無くです。やがていくつもの政治運動やら闘争やらを経て1970年代後半、毛沢東がようやく死んでくれたので、鄧小平が改革開放を始めたわけですよ。

 でも、そうしたら国民から取り上げた財産を共産党の腐敗した幹部連中が横流ししてもうけ始めちゃったわけです。そりゃ、何もかも取り上げられて塗炭の苦しみを味あわされた国民は怒るでしょう。「おまえらは強盗か!」とね。だから89年の天安門事件で最も叫ばれたスローガンが「打倒官倒(官僚ブローカーをやっつけろ)」だったのです。論理的には、この官僚ブローカー現象を是正するには民主的な法体系や制度が必要だとは思えますが、先ずはこの「おまえらは強盗か!」という民衆の共産党への怒りこそが天安門事件の根底にあるエネルギーなんですよ。

 学生たちは共産党政権を倒そうなんて、少しも考えていなかったですね。社会経験の無いただの学生である彼らが、どうやって巨大な中国の政治を動かすことができるんですか。そんなことは彼らの方が百も承知だったと思いますよ。

 私の見たところの感じで言えば、5月を半ばを過ぎると天安門広場に集まっている学生たちの問題は、むしろどうやって帰るかだったと思いますね。何しろ地方から北京に向けて大量の学生が集まってきましたが、金もないので泊まる場所もないし、帰る金もないなんて感じでしたからね。共産党政府が穏便にすませようと決意すれば、警官と清掃車だけで十分に広場から学生を排除してきれいにできたと思いますよ。ちょっと日数はかかったかもしれませんがね。

 だが、殺したんです。大量に。
 一時的にはそれでよかったかもしれませんが、殺られた側は記憶しますよ。

 学生運動の指導者だった王丹さんが、香港で潰された六四天安門事件記念館をアメリカのニューヨークに新たに建設しようと計画を進めています。彼らは「記憶」を実行に移そうとしているわけです。中国共産党のジェノサイドを永久に許さない、という決意ですね。

 私の翻訳では頼りのないので中国語がわかる人は原文を読んでください。

 评论 | 王丹:写于“六四”三十三周年的公开信
 https://www.rfa.org/mandarin/pinglun/wangdan/wd-05312022100652.html
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 “64”三十三周年の公開書簡

 八九民運に参加した方々、六四鎮圧の生存者の方々、当時中国国内や海外から学生運動を支援してくださった支持者の方々、そのために帰国できずアメリカに留まった留学生の方々、“八九六四”を忘れることなく中国の民主化を期待している友人たちへ。

 一九八九年、中国において空前の平和的民主化運動が発生しました。不幸なことにこの激烈な民主化運動は、鄧小平の指導する中国共産党の強硬派によって暴力的に鎮圧され、今年三十三年目を迎えました。三十三年が過ぎましたが、私たちは人類史上まれに見る世界的規模での逆流と強大化する独裁制中国による普遍的価値観に対する重大な攻撃を目撃しています。三十三年を経た今日、私たちは六四天安門事件は中国を変えただけでなく、世界をも変えたと主張しなければなりません。

 ここに、私は皆さんとともに歴史的記憶を守り続ける努力をより一層強く呼びかけたいと思います。人間の血は水のように無駄に流されてはなりません。歴史の傷みは虚偽の記述や冷血な権力によって隠蔽されてはなりません。あの時の学生たち、熱い心を持った国民たち、彼らの情熱と貢献を歴史は決して忘れないでしょう。永久に記憶され忘れ去られてはなりません。良心を持ったすべての中国人はその程度の道義心を持っているはずです。

 数ヶ月前、私は友人たちとともに世界に向けて提案をしました。アメリカのニューヨークに六四天安門事件記念館を建設することです。ネット空間上ではない実体のある記念館ならば、“六四天安門事件”に関する歴史的文物を収集保管することができるだけでなく、それらの展示品を通して歴史的記憶を鮮明に現実の世界に再現することができると私は考えます。このような記念館を建設することは、私たちのような人間にとって、八九世代の特別な歴史的責任であり、自分たちが経験した歴史に対する、そしてその中で死んでいった学生や民衆に対する意思表明にもなると私は考えます。

 あの運動に参加して下さった方々へ、そして八九世代の友人たちへ。あなた方が私とともに素晴らしい中国を勝ち取るために闘って下さったことに感謝しています。壮年となったとはいえ、皆さんが当時の理想を持ち続けていることを願ってやみません。“六四天安門事件記念館”の建設によって、私たちが持ち続けてきた理想を具体化しようではありませんか。

 当時の支援者の方々、特に当時海外にいた留学生の方々へ。あなた方があの時私たちのために奔走し、アメリカや国際社会において声援の声を上げて下さったことに感謝しています。“六四天安門事件記念館”においても、あの頃と同様にあなた方の支援が得られることを願っています。

 中国の民主化を支持するすべての友人たちへ。歴史を振り返ってみれば、中国を間違った道へ引き入れ、その道を歩ませ、中国を自由と民主主義の道からどんどん遠ざけてきたのは、八九民主化運動ではなく、“六四”鎮圧の方であったことがわかります。残虐で道理の欠片もないこのような政権の存在自体が、人類の良心と正義に対する冒涜であることを、私たちは直視しなければなりません。強大化する中国共産党政権は世界の平和と自由に対する脅威なのです。また、座して独裁政権が変わってくれることを待つということは、リスクを回避して闘争を先延ばししているに過ぎません。時間の経過とともに闘争はより困難なものになり、リスクも大きくなるのです。

 したがって、ここで私たちは皆さんに訴えます。今改めて八九民主化運動の精神を高揚し、積極的に中国共産党独裁政権に対抗して下さい。中国共産党独裁政権自由民主主義社会に対する攻撃について警戒し、中国の民主化の発展を支持して下さい。この記念館の建設を援助すること自体が、この抵抗運動の一環になるのです。

 遅くとも“六四天安門事件”三十五周年の頃には、私たちは一堂に会してこの記念館の盛大な開幕式を開催できるものと期待しています。“六四記念館chou備網”(jinian64.org)を閲覧して下さい。建設準備の進展に関心を持って下さい。一日も早く記念館の建設ができるように皆さんのご寄付をよろしくお願いします。

 最後に、当時の民主化運動の参加者であり目撃者として、私は何人かの八九同級生を代表してここに宣誓します。私たちは如何なる困難に直面したとしても、一党独裁反対を堅持し続け、憲政民主の理想を貫きます。私たちは忘れません。諦めません。あの時殺されていった彼らの精神が、私たちの前進を支える力となっているのです。

 本年六月四日、皆さんが皆さんなりの方法で記念館建設のために僅かでもお力添えしていただけることを、私も心から願っています。

 謝謝大家!

 王丹
 2022.5.31
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  打倒中国共産党

民族抑圧下のウイグル農民 その二

 最近、上海電力の問題が急浮上してきていて、その実態から日本の政界、財界、官界に相当深く中国のサイレントインベージョンが進んでいることが明らかになってきていますね。日本人は金や女(女性に対しては“男”でしょうか)を使った他国の工作に弱いとは思っていませんが、戦後教育のなれの果てと言ったらよいのかどうか、いずれにしても人が良すぎる感じがします。基本的に人を疑わないんですよ。

 日本社会の安心感は、日本人どうしの暗黙の了解を土台にした相互信頼によって成り立っていると言っても言い過ぎではないと思います。最近海外から日本に来て日本についていろいろと発言している外国人の動画が、YOUTUBEなどに数多くアップされていますが、彼らが肯定的に評価してくれている日本社会の優れた点の大半はこの辺に集中していますよね。ところが、中国共産党の対日工作は日本人のこの“人の良さ”を突いてくるのです。

 これは厄介な問題ですよ。日本人は自分が正しいと思っていることをやればやるほど、中国の対日工作の術中にはまっていくことになるのですから。残念ながら中国人を相手にする場合は、この日本人の“人の良さ”を捨てる必要があります。徹頭徹尾相手を疑ってかかって、ようやく彼らとは対等にやりとりができると言うことです。

 イリシャットさんの本『維吾爾雄鷹 伊利夏提① 中国植民統治下的「東突厥斯坦』を読むと、ウイグル人も日本人と同様に“人の良さ”を持っている優しい人たちのようです。本来、それは異なった民族が友好的に接するために必要な能力なのですが、漢民族にはそれは通用しなかった、ということですね。あくまで全漢民族とは言いませんが、漢民族は徹底して利己的な性格をもっている人々ではないかと、ウイグル人にはそう言う資格がありますね。

 さて「民族抑圧下のウイグル農民 その二」です。
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民族抑圧下のウイグル農民 その二

親戚や友人を訪問するにも「良民」通行許可証が必要

 東トルキスタンウイグル農民の移動の自由は、ほぼすべて剥奪されている。特に南部農民の移動の自由は極めて厳格に制限されている。

 ウイグル農民が親戚や友人を訪問する場合、必ず「良民」通行許可証を発行してもらわなければならない。通行許可証には十戸長及び村長、村共産党支部書記、村駐在警察の許可と署名がなければならない。親戚の訪問については、当日早いうちに十戸長に報告しなければならない。十戸長はその家の調査を行い、話を聞き、訪問する人間が本当に親類であること、そして「良民」であることを確認する。さらに交流時間がどの程度になるのかもはっきりさせなければならない。調査では訪問者の身分証の確認や質問も行い、もし訪問者が隣の県の農民であった場合は所持している「良民」通行許可証の確認も行う。訪問した親戚は予定時間通りに帰らなければならない。もし予定時間を過ぎてしまった場合も、やはり十戸長、村長、村共産党支部書記、村駐在警察の許可を得なければならない。とにかく最初から最後まで十戸長とその助手たちの監督下に置かれているのだ。

 村と村の間の往来は比較的容易である。身分証を提示すれば通行可能となっている。村と村の間には検問所が設置してあり、一般的に検問所には武器を持った協警が三人いる。協警たちは現地政府が雇用した村や郷のヤクザ者であり、その村の農民に対しても非常に乱暴で無礼である。まして知らない人間に対しては推して知るべしだ。ちょっとでも間違いを犯したり身分証を忘れたりすると、いかなる農民であっても極めて大きな困難に直面することになる。

 もし遠出をするとか、地域を跨いで移動するなら、先ず十戸長、村長、村共産党支部書記、村駐在警察に「良民」通行許可証を発行してもらう必要がある。その後、郷政府に「正式通行許可証」を発行してもらい、郷の派出所で「無犯罪証明」などの書類を発行してもらう必要がある。

 南部各県のあらゆる県境には検問所があり、ほとんどの検問所に銃を持った公安や武装警察がいて検査を行っている。しかも彼らはウイグル人しか検査しないのだ。もし身分証や良民証、通行許可証などを所持していなかったら大変なことになるだろう。その人は家族が来るまで拘置所などに閉じ込められ、罰金を支払わなければ迎えに来た人に引き渡されることはないのだ。

 東トルキスタンの南部の土地はあまり豊かではないので、ウイグル農民一戸あたりの耕地面積は平均で130アールあまりしかない。しかし例外がないわけではない。私は、この疏勒県のウイグル青年に、自分の村で一番大きな土地を持っているのは誰か、と聞いてみた。青年は、自分の村には五、六戸の漢民族の農民がいて、だいたい2002年前後に内地から移動してきたのだが、最も大きな土地を持っているのは彼らだ、と答えた。

漢民族のために綿花を摘むウイグル人学生

 それで彼らはどのくらいの土地を持っているのと聞いてみると、彼は「一戸あたり2600アールから3250アールだ!」と答えた。今度は「ウイグル人でそのくらいの土地を持っている人はいないのか?」と聞いてみると、彼はきっぱりと「いない。ウイグルの村長でもだいたい1300アールから1950アール程度が一番多い方だ!」と答えた。私はさらに、その五、六戸の漢民族は何を栽培しているんだ、ときいてみると、彼は「綿花」だと答えた。この答えから別な話題へと移っていった。

 この若者は私に、綿花の収穫の季節になると村では強制的に中学生や高校生が授業を中止して駆り出され、漢民族の綿花畑に行って綿花を摘んでいるが、同じ村のウイグル農民は自分で労働力の問題を解決しなければならないと話した。村や郷の政府は「民族の団結を強めるために漢民族の農民兄弟を助けよう!」などと、綺麗事を言っているそうだ。

 綿花の収穫時期には、収穫が一日でも遅れると綿花の等級が下がるのでよい値段で売ることができない。この事は「自治区」の農村の綿花農民であれば誰でも知っていることだ。これも一種の形を変えたウイグル農民に対する搾取的制度と言えるだろう。

 余剰労働力の移転という問題についても、私はこの若者に聞いてみた。彼は、県や郷の規定では「中学校を卒業し高校や専門学校に入学していないウイグル人女性はすべて政府の手配に従って中国国内のその他の省に働きに出なければならない。家長がこれを拒否した場合、重い罰金刑に処すか、監禁して学習班に参加させなければならず、その家が耕作している土地も政府が強制的に没収する。」となっているという。

 「それは女性だけなのか?」ともう一度確認してみた。彼は再びきっぱりと「そうだ。女性だけ、それも未婚の女性だ!」と答えた。ある家長は娘が強制的に連れて行かれるのを避けるために、中学校卒業前に結婚話を整えておき、卒業したらすぐに結婚させることにした。その通りに娘が結婚すると、村や郷の幹部たちは二度とその娘を他の省へ働きに出すことを強要しなかったという。この若者はそれをとても奇妙なことに感じたようだ。

 もとより農民をすることは大変なことだが、ウイグル農民はさらに大変だ。特に東トルキスタンの南部で農民をするということは、まるで地獄の中にいるようなものだ。

(本文は2014年8月19日に博訊新聞ネットに発表したもの)
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 さて、日本に侵入してきている中国共産党のサイレントインベージョンをいかに駆逐するのか、日本人も真剣に考え、行動しなければなりませんね。

民族抑圧下のウイグル農民 その一

 引き続き、『維吾爾雄鷹 伊利夏提① 中国植民統治下的「東突厥斯坦』です。イリシャットさんが発表してきた比較的わかりやすい中国語の短文がたくさん掲載されている本なので中国語の教科書としても実用的な本です。もちろん一文一文を読みながら現在の中国が抱えている深刻な問題を理解していくこともできます。

 ロシアによるウクライナ侵略が世界中の関心の中心になってしまったので、同じ巨大独裁国家である中華人民共和国の問題がかすんでしまいましたが、ウイグルチベット南モンゴルを中心に、21世紀の人類にとっての難題が厳然と存在しています。おそらく問題の質は酷くなることはあっても解決に向かいことは当面ないような感じです。

 帝国主義時代の残渣が、これらの独裁国家に残っているとも言えるし、これらの国々は世界をその時代へ引き戻そうとしていると言うこともできるかもしれませんね。その時代からほぼ抜け出して新しい時代へ進もうとしている自由民主主義諸国の国民にしてみると、これは恐怖であり残念なことです。 

 さて、今日は『維吾爾雄鷹 伊利夏提① 中国植民統治下的「東突厥斯坦』のP182~P185に掲載されている短文“その一”です。ウイグルでは“強制収容所”が問題になっていますが、すでに2014年頃から全ウイグル人の監視体制ができあがっていたということですね。
 私は思うんですがね。いったい何時まで日本はこの様な非人道的国家と“友好関係”を続けるのでしょうか。こんなことを続けていたら、そう遠くない日に日本人もウイグル人と同じ境遇に追い込まれることになりますよ。

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民族抑圧下のウイグル農民 その一

 全家族のすべての動きを監視する十戸長

 先週のことだが、思いがけず東トルキスタンからアメリカにやってきて間もない一人のウイグル青年に出会った。彼はカシュガル付近の疏勒県の農村の出で、両親兄妹もみな農民だ。
 話の中で、私は特に東トルキスタンウイグル農村の現状について質問した。彼は自分の知っていることをすべて詳細に答えてくれた。今日は、そこから私が知ったことについて書こうと思う。その目的は一つ。皆さんに東トルキスタンウイグルの農民が現在、毎日毎日この瞬間にも直面している史上例を見ないような民族抑圧と民族別紙について知ってもらうことだ。

 この若者が言うには、現在東トルキスタン南部のウイグル農村では、ウイグル人家庭十戸で一つの保安グループを組織し、中国共産党植民地政府はこの十戸のウイグル人家庭から信頼できる一人のウイグル人を十戸長として選任ししているという。十戸長は所管の十戸のウイグル人家庭の全動態の監視・監督に責任を負い、その内容は来客、婚礼、慶事、葬儀、招待、親戚同士の集まりなどにまで及んでいる。

 如何なるウイグル人も客を招くときや親戚同士で集まるとき、婚礼や葬儀の際には、先ず十戸長にすべて報告しなければならない。十戸長の審査を経て後、十戸長署名の報告書を持って村長と村共産党支部書記、村駐在警察の決裁を受けなければならない。

 十戸長の審査を経ず、村長や村共産党支部書記、村駐在警察の決裁を受けない場合は、如何なるウイグル人家庭も自宅では何の活動もしてはならないのだ。客を招くことや婚礼や葬儀もできないし、集まって礼拝することもできない。もしやれば、それは非合法の集会であり非合法の宗教活動とされる。

 婚姻や葬儀、親戚同士の集まり、客の招待について、ウイグル農民は事前にその人数や氏名住所を報告することが要求されている。それらを行うには、十戸長と村や郷での審査を経なければならない。しかも、決裁を得た後は、その家族が勝手に参加人数を変更したり増やしたりすることはできない。通常、十戸長は現場で監督し、村や郷の警察は自由に現場に出入りして人数や身分証の確認をすることもできる。

人々は家に鍵をかけることは許されず、深夜に調査を受ける

 仮にウイグル農民が十戸長の批准を受けなかった場合、それを飛び越えて村長や村共産党書記、村駐在警察に何らかの手続きもしてもらうこと不可能となっている。事実上、十戸長の審査報告書がなければ、村長も村共産党支部書記も村駐在警察も何の手続きもできないのだ。

 ウイグル農民が郷政府に行って手続きをしようとしても同様である。先ずは十戸長の審査報告書に署名をもらい、改めて村長や村共産党支部書記、村駐在警察の決裁を受け、これらの責任者の署名のある報告書を手にして初めて郷政府を訪問し郷幹部に手続きをしてもらえるのだ。

 郷政府の門前には武器を持った協警(警察の補助人員)がおり、政府の建物の中には武装警察が駐在している。もしもウイグル人が強行突破しようとしたら、凶悪犯罪とされ、その結果は想像に堪えないものになるだろう。軽ければ捕まって監獄に放り込まれ、重ければ武装警察によって射殺されることになる。

 如何なるウイグル農民家庭も、夜眠るときに家の戸に鍵をかけることは許されていない。庭の門も家の戸もすべてである。家の門も戸も必ず開けておくのは、政府の役人がいつでも自由に出入りし調べることができるようにするためだ。もし鍵をかけたら、それはつまり問題が存在する証拠であり、何かを隠していることを意味する。調査員はすぐに軍警(軍及び警察)を呼び、門を破壊して侵入させることができる。その結果については、すべてそのウイグル人が負わなければならない。

 夜間の訪問捜査はすべて突然行われ、時間は決められていない。捜査には一般的に十戸長に村長、あるいは村共産党支部書記か村駐在警察、そして二三人の協警が加わる。一旦捜査が始まったら、家族は全員起きて一つの部屋に集合し質問に答えなければならない。大人も子供も誰一人例外はない。捜査員は自由にタンスや箱を開けて捜査を行うことができる。ウイグル人家庭は一般的に、二三日に一回訪問捜査を受けなければならないが、その時間はほとんどが深夜過ぎである。

 最も悲劇的なのは、中国共産党植民地政府のブラックリストに載っているウイグル農民の家庭だ。どの村にも重点捜査対象となるブラックリストが存在する。ブラックリストの家庭のほとんどは敬虔なウイグルイスラム教徒の家庭である。ブラックリストに載るような敬虔なイスラム教徒の要件とは、時間通り一日五回の礼拝を行い、コーランを読むことができ、イスラム教の基本概念を説明することができるウイグル農民のことでしかない。

出版を許可されたウイグル書籍も没収

 重点的に監視されている家庭は、毎日軍警や村駐在警察による不定期の抜き打ち式捜査を受けている。昼夜に係わらず、軍警や村駐在警察は誰からの許可も得る必要なくブラックリストに載った家庭を捜査できるのだ。ブラックリストに載った家庭を捜査する時間帯は、ほとんどの場合明け方で、完全な抜き打ち方式で行われている。

 非常に興味深いのは、この若者が言うには、ウイグル人家庭を捜査する村や郷の役人や軍警はウイグル語の書籍について見つけ次第没収していることだ。没収書籍はイスラム教に関する宗教的な書籍だけでなく、文学や歴史、科学といった内容のものにも及び、合法的であるか非合法であるかも関係ない。

 この若者はさらにこう続けた。現在ウイグル人家庭において捜索されるウイグル語の書籍は、イスラム教に関する宗教書籍はごく僅かで、大多数がウイグル語の文学や歴史の本であり、そのうちの多くが中国語から翻訳された文学作品などの正規の本としてウイグル農民たちが新華書店で買ってきたものなのだ。つまり、これらの書籍は中国共産党植民政府が許可して出版したものなのだ。

 しかし、村や郷の役人、軍警の捜査員はウイグル農民の説明など聞く耳を持たず、ウイグル語の書籍は見つけ次第強制的に没収している。彼らに道理を説こうとすれば、厄介なことに巻き込まれることになるし、彼らに連行されたら、おそらくさらに大きなトラブルになるだろう。だからウイグル農民たちは黙って彼らに勝手に捜査させるしかないのだ。

 このような非人道的待遇、明確な民族抑圧、民族蔑視に対して、ウイグル農民が文句を言ったり反抗したりすれば、本人とその家族は様々な困難に直面することになる。つまり、投獄であり銃殺であり原因不明の失踪である。したがって大多数のウイグル農民は怒りを感じても我慢して沈黙するしかない。

(本文は2014年8月16日に博訊新聞ネットに発表したもの)
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 “その二”は近日中に掲載します。

2011年頃のウイグルのある小学校で光景

 イリシャット・ハッサン・コクボレさんの『維吾爾雄鷹 伊利夏提① 中国植民統治下的「東突厥斯坦』を読んでいます。もうあと少しで読み終えますかね。

 

 

 イリシャットさんは、1962年東トルキスタン・伊寧県生まれのウイグル人です。ウイグル問題に詳しい人の間では非常に有名な人ではないかと思います。1988年大連理工大学化工学部卒業ということなので、もともとは理系の知識人なんですね。東トルキスタンの石河子技術学校教師培訓学院でウイグル語と化学工業について教えた後、2003年にマレーシアに亡命。2006年に国連難民署の手配で渡米。2013年にアメリカ国籍取得。その後アメリカ・ウイグル協会主席を2019年まで勤め、現在は世界ウイグル会議の中国事務部主任をしています。

 以前、YOUTUBEで彼の動画を見たことがあるんですよ。非常にわかりやすい中国語で、現在世界的に注目されているウイグル人強制収容所問題の発端について解説していました。この強制収容所の話、アメリカ政府も最初は信じていなかったんですね。中国から漏れ伝わってくる情報をイリシャットさんたちがアメリカ政府に話したところ、最初は「そういう大げさな話をしていると信用をなくしますよ」とたしなめられた、というエピソードを語っていました。この経緯から、この問題がアメリカ側のねつ造やプロパガンダではなかったことがわかります。

 『維吾爾雄鷹 伊利夏提① 中国植民統治下的「東突厥斯坦』に話を戻しますね。

 この本も非常にわかりやすい中国語で書かれています。イリシャットさんはこれまでたくさんの論文やエッセイを書かれてきたのだと思いますが、この本はその内の代表的な文章をセレクトして掲載しているようです。いずれも短く端的に事の本質を表現したものなので、読む人の心に素直に響いてくる感じがします。現在ウイグルで起きていることは、小難しい論文で長々と表現しなければならないような複雑な問題ではなく、実際には単純きわまりない現象にすぎません。

 漢民族は自分たちと違ったものを受け入れない。
 受け入れないだけでなく、抹殺しようとする。
 しかも、その理由を相手のせいにする。

 この三行で十分です。もちろん、この範疇に入らない漢民族の人間もいる、ということは前提ですが、大きな集団としての漢民族にこの傾向があることは間違いないと私も思います。だから、集団としての漢民族は、他民族にとって非常に危険な存在なのです。これ、台湾人は十分に理解していますよね。

 ウイグル・・・東トルキスタンで起きていること、あるいはチベット南モンゴルで起きていることは、決して日本にとって「他人事」ではありません。現在日本国内には約100万人の中国人が存在していると言われています。帰化したもの、永住権のあるもの、短期的な滞在、いずれにしてもその大半は漢民族です。良心的な人もいる、ということは前提ですが、集団としては要注意です。

 ウイグルチベット南モンゴルで異民族抹殺を実行しながら、日本では従順におとなしく日本の国柄や法律、制度、文化を尊重してくれるなどと考えるのは、脳天気すぎる考え方だとは思いませんか。

 『維吾爾雄鷹 伊利夏提① 中国植民統治下的「東突厥斯坦』の29ページから33ページにかけて、2011年頃のウイグルのある小学校での出来事が紹介されていました。強制収容所が林立している現在では、このレベルの出来事すら牧歌的な民族差別のエピソードになっているのかもしれません。まぁ、軽く訳してみたので読んでみてください。

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ウイグル人であることは間違いなのだろうか?
(ある匿名ウイグル人が書いた短文の翻訳)

ウイグル語を話さないように言い聞かせる教師

 眉毛が濃くて目が大きく、鼻筋が高く、背も高いウイグル人教師アディリが教科書を持って教室に入ってきた。教室の5歳から6歳の52人のウイグル人の子供たちは揃って起立をして覚束ない中国語で「老師好!(先生、こんにちは!)」と言いった。アディリ先生は注意深く生徒たちを一人一人見つめ、彼も中国語で「同学們好!(みなさん、こんにちは!)」と答えた。さらに中国語で続けて「同学們、請座。(では、座ってください。)」と言った。

 アディリ先生は引き続き中国語で子供たちに「今日は『自治区』の偉い人が私たちの学校へ視察にきます。学校は『自治区』の偉い人に私たちのクラスを見てもらうことにしました。」と話した。「もしも偉い人に話しかけられたら・・・」アディリ先生は強調して「みんな、覚えておいてくださいね。必ず中国語で答えること。笑顔で答えること。しゃべりすぎたらいけませんよ。」と言った。

 アディリ先生はさらに何かを思い出したように、厳しい口調で「みんな、絶対に忘れないように。絶対に、絶対にウイグル語を話してはいけません!」と付け加えた。

 アディリ先生が授業をしている最中、突然教室のドアが開き『自治区』の指導者たちのグループが、学校の管理職教員たちに案内されて入ってきた。その後ろには、録音機やカメラなどを持った記者たちが大勢ついてきていた。フラッシュが頻繁に光り、教室内の雰囲気は少し緊張した。突然現れた招かれざる客たちの出現に子供たちも非常に緊張した様子だった。

 子供たちの目もアディリ先生や学校の管理職教員たち目も、厳しい表情で前を通り過ぎる背の低い指導者の姿を追いかけた。この背の低い指導者は、五体短小、でっぷりと太った男で、一見して今日の最高レベルの肩書きであることがわかった。しかし、彼はどことなく自信なさげに見え、少し不安そうに緊張しているように見えた。何か問題が起きないかとびくびくしているようだった。

 背の低い指導者は教室全体を見渡し、急に双子の兄弟の一人Tughluhjanの机の前に進んでいった。彼を見つめながら指導者は調子外れの中国語で「君の名前は何て言うのかな?」と質問した。「僕は図格魯克(中国語)と言います。」彼は怯えながら答えた。

わぁ、あなたはウイグル人だったのですね

 指導者は満足げに彼の教科書を取り上げてページをめくり、やはり調子外れな中国語で「このページを読んでごらん。」と彼に言った。彼は教科書を持って、覚束ない中国語で読み始めた。「中国共産党好、社会主義好、民族団結好。(中国共産党はすばらしい、社会主義はすばらしい、民族団結はすばらしい。)」

 背の低い指導者の顔に笑みが浮かび、学校の指導者たちも緊張が解けたようだった。歴史的な出来事に出会った記者たちは、指導者と彼の写真を撮りビデオに納めた。指導者は満足げに彼の肩をたたき、下手くそな中国語で「すばらしい、すばらしい!」と何度も言った。

 子供たちもこの緊張した雰囲気に慣れ始め、Tughlukjanも緊張が解けて気が緩んだようだった。背の低い指導者の笑顔に促されたのか、Tughlukjanは自信を持って中国語で「おじさん、お名前は何とおっしゃるのですか?」と尋ねた。背の低い指導者は再び下手くそな中国語で「私は司馬義・提力瓦地(スマイ・テリワディかな?)と言うんだよ。」と答えた。子供の自信がこの背の低い指導者にも自信を与えたようだった。指導者の笑顔は更に輝いた。

 突然、天真爛漫で可愛らしいTughluhjanは背の低い指導者に向かって、極めて流暢なウイグル語で「Siz Uyghurkensizde!(わぁ、あなたはウイグル人だったのですね!)」と言ってしまった。

 背の低い指導者の表情は一瞬にして曇り、しかめっ面になった。学校の管理職教員も記者たちも唖然としてTughluhjanを見つめ、何を言ったらよいか、何をしたらよいか、全くわからない感じだった。Tughluhjanも気まずい雰囲気に気がついて、救いを求めるようにアディリ先生を見つめた。しかし、アディリ先生は、呆然とTughluhjanを見つめるしかなかった。アディリ先生の目には、あきらめ、困惑、悲憤の感情が浮かんでいた。

 背の低い指導者は声を震わせながら黒板に近づいていき、震える手を振り回しながら、学校の管理職教員とアディリ先生に向かって下手くそな中国語で怒鳴り始めた。「おまえらはみんな失格だ、学校の管理職も替えなければならん。」そして、子供たちには目もくれず威嚇するように慌てて教室を出ていった。

 Tughluhjanは泣き出してアディリ先生の懐に飛び込んでいった。アディリ先生は彼をしっかりと抱きしめて深いため息をついた。アディリ先生の表情は茫然とし悲憤に満ちていた。彼は一言もしゃべることもできずにいた。教室内のその他の子供たちも驚きの表情のまま茫然としていた。何人かの女の子は泣き出していた。

背の低い小心者の指導者の怒り

 背の低い指導者は学校の会議室に入り、引き続き震える手を振り回しながら、中国語で学校の指導者たちを叱責し続けた。「おまえたちの党に対する態度は何なんだ?党がおまえたちに仕事を与えたんだぞ。にもかかわらずおまえたちは党を騙すつもりか?さっき見ただろう、あの嘘つきのガキを。ウイグル語で質問してきたんだぞ。なんていう大胆な奴だ?テロリストの子供なのか?きっと分裂主義者に違いない!」

 さらに彼は中国語で「今日限りであのガキを退学させろ!それからあの教師も仕事を辞めさせるんだ。ウイグル民族の学校管理者は全員業務を停止して今日の重大問題の原因をつきとめさせろ!漢民族の学校管理者は、今後二度とこんなことが起きないように注意するように!」と喚いた。

 Tughluhjanが家に戻ったとき、家の門の前に父親と母親が待っているのが見えた。彼は思わず父親の懐に飛び込んだ。心に深い傷を負った彼は泣きじゃくった。母親はそのそばで気が気でないような面もちのまま何を話してよいのかわからない様子だった。しばらくしてTughluhjanは心配そうに父親に向かって「パパ、今日学校であったこと知っているの?」と尋ねた。父親は頷きながら「そうだよ。知っている。学校の先生が電話で教えてくれたんだ。」と答えた。

 Tughluhjanは言い訳をするように「パパ、僕は本当にわざとやったんじゃないんだよ。どうしてかわからないけど、気がついたらウイグル語を話しちゃったんだ。」と言った。

 「いいんだよ。わかってる。おまえは間違っていないよ。」
 「でも、パパ、学校の先生たちは、みんな僕が悪いって言ってるんだ!どうしてわかってくれないんだろう!」
 「パパ、僕たちはウイグル人であるよりも漢民族みたいになった方がいいんだよね、そうだよね?」

 母親が手を伸ばすよりも早く、父親がTughluhjanの頬を叩くのが早かったのかもしれない。Tughluhjanは地面に倒れ込んだ。母親の目には涙があふれ、恐怖で震えるTughluhjanを抱き抱え、家の中に入っていった。父親は苦痛に満ちた表情で家の中に入っていく子供と母親の背後を見つめ、悲憤のあまり天を仰いで言った。「おお神よ、いったいウイグル人であることは罪なのですか?」

(この真実の物語は、東トルキスタンの首都ウルムチのある小学校で発生した事件だ。背の低い指導者の名前以外、関係者を保護するために原作者はその他の登場人物の名前を別名に替えていた。)

(本文は2011年1月12日に博訊新聞網に掲載された。)
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 最近では中国語の教材が掃いて捨てるほど本屋の棚に並んでいますが、義務教育で英語の勉強をしたときも感じましたが、興味も関心もないような内容の文章を読まされても、ぜんぜん頭に入ってきませんよね。自分の関心のある内容のものを読むなり聞くなりすればいいんですよ。そうすれば私のようなバカでも、イヤでも頭に入って来るものです。

 中国語を勉強するとき、中国共産党の提供するような教材を使っていたら、それこそアホになりますよ。自ら進んで独裁者に洗脳されるアホにはなりたくないですよね。