六四天安門事件記念館建設計画

 今日は2022年6月5日。昨日は1989年6月4日に中国北京で起きた1989年6月4日天安門事件の33周年記念日でした。もう33年経ったんですね。俺も歳をとったもんだな。当時は確か23歳の「若者」で、北京の東の郊外にポツンと建っていた語学系の学校に留学中でしたね。まぁ、片田舎も片田舎、北京到着初日に北京空港から学校までの間、留学生を乗せたバスとすれ違ったのは荷車を引いた“馬車”だけという場所でしたからね。

 アットホームな留学生宿舎でしたよ。各国の留学生を合わせても、たぶん200人もいなかったと思いますね。当時は日本人が一番多くて40人~50人ぐらいでしたか。いつも集団行動をしていたロシア人(当時はソ連人)以外は、全員すぐに顔を覚えてしまえるほどでした。今思えば長閑な時代で、学校の北と南の大通りの向こう側はほぼ全て一面の畑。北京市街へはエンコしがちなバスで20分~30分ぐらいかかりましたね。

 機会があって2000年代にその学校に訪問したのですが、すっかり市街地になっていて、たしか南門の前には高速道路が開通していましたね。まるで見知らぬ場所になっていて、浦島太郎状態。それでも校内に入ると懐かしい留学生宿舎(女子学生宿舎になっていました)や、何となく見覚えのある校舎がまだあってホッとしましたね。何だかんだ言って、当時の日本とはまるで別世界でしたから、思い出すとやはり胸が熱くなります。

 バブル時代の大学生ですから、ほぼ政治的感覚ゼロの坊やですよ、当時の私は。そもそも第一外国語に中国語を選んだのだって「漢字なんだから簡単だろう」という極めて安易な動機です。まぁ、本多勝一小田実は読んでいましたし、そういう左系の知識人の文章に感化されていた部分もありますから、完全にノンポリというわけではありませんでしたが、あの当時の二十歳そこそこの知識なんてそんな程度のものです。

 1989年の4月頃でしたか。そんなボンクラな日本の坊やが道ばたで売っていたアイスをかじりながら北京の街を散歩していたんですよ。そうしたら、後ろの方から学生の集団が何か叫びながら集団で歩いて来たんですよ。何だべな、と思いながら眺めていたら、その学生集団の一人が私に向かって何か叫んでいるですよ。どうやら「こっちへ来い!」と言っているようなので、とりあえず彼のそばまで行ってみたんです。

 「おまえ、何ぼうっと歩いてるん?」
 「いや、まぁ、ちょっと買い物で・・・」
 「おまえ、どこの学生だ?」
 「○○学院・・・、でも日本の留学生だ」
 「日本人でも今は中国の学生だよな?」
 「はぁ?」
 「こっち来て参加しろ」

 たぶん、そんな会話だったと思いますが、私も「そんな無茶苦茶な!」とは思いましたが、おもしろそうだったんで、そのまま彼らについて行ったんですよ。それで、いろいろ話をしましたよ。中国語のレベルが追いつかなかったので半分以上は筆談でしたか。とにかく「民主主義万々歳」の彼らの話は、日本についてもベタ褒めで、私にしてみれば「おいおい、そりゃちょっと褒めすぎだぁ・・・」と思ったものでした。

 学生というものはまだ社会経験がありません。一般的にはね。だからどうしても頭の中の空想論になりがちです。でも社会人は違います。毎日毎日現実と向き合って生きていますから話は具体的だし、そこから導き出される論理はかなり的確なものになります。いずれにしても私の中国語のレベルに問題があったので完全に把握できたわけではありませんが、当時いろいろと見聞きした事をまとめてみると、彼らの言いたかったことは至って単純なことだったのではないかと思っています。

 共産主義社会ですよ。自由民主主義の社会に生きている人間には実感を持って想像できないことなのですが、彼らに私有財産はないんです。そのことをイデオロギー的に肯定しなければならないので、実は思想の自由もないし、場合によっては感情すら自分の自由にはできないのです。つまり、どう思うのか、どう感じるのかも共産党が決めるんですよ。そこから外れることは「反革命」であり、打倒の対象です。

 自分の考えや意思にかかわらず、1949年以降中国人はそういう世界に放り込まれたわけです。それが理想であるということで、中国人は自分の私的財産を全て取り上げられ、思想も感情も共産党の判断に委ねることになったのです。妥協の余地無くです。やがていくつもの政治運動やら闘争やらを経て1970年代後半、毛沢東がようやく死んでくれたので、鄧小平が改革開放を始めたわけですよ。

 でも、そうしたら国民から取り上げた財産を共産党の腐敗した幹部連中が横流ししてもうけ始めちゃったわけです。そりゃ、何もかも取り上げられて塗炭の苦しみを味あわされた国民は怒るでしょう。「おまえらは強盗か!」とね。だから89年の天安門事件で最も叫ばれたスローガンが「打倒官倒(官僚ブローカーをやっつけろ)」だったのです。論理的には、この官僚ブローカー現象を是正するには民主的な法体系や制度が必要だとは思えますが、先ずはこの「おまえらは強盗か!」という民衆の共産党への怒りこそが天安門事件の根底にあるエネルギーなんですよ。

 学生たちは共産党政権を倒そうなんて、少しも考えていなかったですね。社会経験の無いただの学生である彼らが、どうやって巨大な中国の政治を動かすことができるんですか。そんなことは彼らの方が百も承知だったと思いますよ。

 私の見たところの感じで言えば、5月を半ばを過ぎると天安門広場に集まっている学生たちの問題は、むしろどうやって帰るかだったと思いますね。何しろ地方から北京に向けて大量の学生が集まってきましたが、金もないので泊まる場所もないし、帰る金もないなんて感じでしたからね。共産党政府が穏便にすませようと決意すれば、警官と清掃車だけで十分に広場から学生を排除してきれいにできたと思いますよ。ちょっと日数はかかったかもしれませんがね。

 だが、殺したんです。大量に。
 一時的にはそれでよかったかもしれませんが、殺られた側は記憶しますよ。

 学生運動の指導者だった王丹さんが、香港で潰された六四天安門事件記念館をアメリカのニューヨークに新たに建設しようと計画を進めています。彼らは「記憶」を実行に移そうとしているわけです。中国共産党のジェノサイドを永久に許さない、という決意ですね。

 私の翻訳では頼りのないので中国語がわかる人は原文を読んでください。

 评论 | 王丹:写于“六四”三十三周年的公开信
 https://www.rfa.org/mandarin/pinglun/wangdan/wd-05312022100652.html
--------------------------------------------------------------------------------------------------
 “64”三十三周年の公開書簡

 八九民運に参加した方々、六四鎮圧の生存者の方々、当時中国国内や海外から学生運動を支援してくださった支持者の方々、そのために帰国できずアメリカに留まった留学生の方々、“八九六四”を忘れることなく中国の民主化を期待している友人たちへ。

 一九八九年、中国において空前の平和的民主化運動が発生しました。不幸なことにこの激烈な民主化運動は、鄧小平の指導する中国共産党の強硬派によって暴力的に鎮圧され、今年三十三年目を迎えました。三十三年が過ぎましたが、私たちは人類史上まれに見る世界的規模での逆流と強大化する独裁制中国による普遍的価値観に対する重大な攻撃を目撃しています。三十三年を経た今日、私たちは六四天安門事件は中国を変えただけでなく、世界をも変えたと主張しなければなりません。

 ここに、私は皆さんとともに歴史的記憶を守り続ける努力をより一層強く呼びかけたいと思います。人間の血は水のように無駄に流されてはなりません。歴史の傷みは虚偽の記述や冷血な権力によって隠蔽されてはなりません。あの時の学生たち、熱い心を持った国民たち、彼らの情熱と貢献を歴史は決して忘れないでしょう。永久に記憶され忘れ去られてはなりません。良心を持ったすべての中国人はその程度の道義心を持っているはずです。

 数ヶ月前、私は友人たちとともに世界に向けて提案をしました。アメリカのニューヨークに六四天安門事件記念館を建設することです。ネット空間上ではない実体のある記念館ならば、“六四天安門事件”に関する歴史的文物を収集保管することができるだけでなく、それらの展示品を通して歴史的記憶を鮮明に現実の世界に再現することができると私は考えます。このような記念館を建設することは、私たちのような人間にとって、八九世代の特別な歴史的責任であり、自分たちが経験した歴史に対する、そしてその中で死んでいった学生や民衆に対する意思表明にもなると私は考えます。

 あの運動に参加して下さった方々へ、そして八九世代の友人たちへ。あなた方が私とともに素晴らしい中国を勝ち取るために闘って下さったことに感謝しています。壮年となったとはいえ、皆さんが当時の理想を持ち続けていることを願ってやみません。“六四天安門事件記念館”の建設によって、私たちが持ち続けてきた理想を具体化しようではありませんか。

 当時の支援者の方々、特に当時海外にいた留学生の方々へ。あなた方があの時私たちのために奔走し、アメリカや国際社会において声援の声を上げて下さったことに感謝しています。“六四天安門事件記念館”においても、あの頃と同様にあなた方の支援が得られることを願っています。

 中国の民主化を支持するすべての友人たちへ。歴史を振り返ってみれば、中国を間違った道へ引き入れ、その道を歩ませ、中国を自由と民主主義の道からどんどん遠ざけてきたのは、八九民主化運動ではなく、“六四”鎮圧の方であったことがわかります。残虐で道理の欠片もないこのような政権の存在自体が、人類の良心と正義に対する冒涜であることを、私たちは直視しなければなりません。強大化する中国共産党政権は世界の平和と自由に対する脅威なのです。また、座して独裁政権が変わってくれることを待つということは、リスクを回避して闘争を先延ばししているに過ぎません。時間の経過とともに闘争はより困難なものになり、リスクも大きくなるのです。

 したがって、ここで私たちは皆さんに訴えます。今改めて八九民主化運動の精神を高揚し、積極的に中国共産党独裁政権に対抗して下さい。中国共産党独裁政権自由民主主義社会に対する攻撃について警戒し、中国の民主化の発展を支持して下さい。この記念館の建設を援助すること自体が、この抵抗運動の一環になるのです。

 遅くとも“六四天安門事件”三十五周年の頃には、私たちは一堂に会してこの記念館の盛大な開幕式を開催できるものと期待しています。“六四記念館chou備網”(jinian64.org)を閲覧して下さい。建設準備の進展に関心を持って下さい。一日も早く記念館の建設ができるように皆さんのご寄付をよろしくお願いします。

 最後に、当時の民主化運動の参加者であり目撃者として、私は何人かの八九同級生を代表してここに宣誓します。私たちは如何なる困難に直面したとしても、一党独裁反対を堅持し続け、憲政民主の理想を貫きます。私たちは忘れません。諦めません。あの時殺されていった彼らの精神が、私たちの前進を支える力となっているのです。

 本年六月四日、皆さんが皆さんなりの方法で記念館建設のために僅かでもお力添えしていただけることを、私も心から願っています。

 謝謝大家!

 王丹
 2022.5.31
--------------------------------------------------------------------------------------------------
 
  打倒中国共産党