林昭 Lin Zhao

 要するに中国の幼気な女の子が反右派闘争や文化大革命に巻き込まれて犠牲になったお話だと思って読んだんですよ。「血書 林昭的信仰、抗争与殉道之旅」(連曦著 カ森・連曦訳 台湾商務印書館)という本のことです。

 とんでもない。
 この36歳にして“反革命分子”として銃殺されたこの女性は、監獄の中でたった一人で狂気の毛沢東独裁体制と闘い抜いた驚くべき信念の人でした。想像を絶する闘争ですよ。

 日本人の中でこの女性について知っている人は、いったい何人いるのでしょうかね。今でも中国共産党が抹殺し続けている歴史上の人物なので、ごく数人、多くて数十人ではないでしょうか。大半は中国近現代史の研究者でしょう。

 彼女の生涯について簡単に書くとこうなります。

 1932年、江蘇省蘇州市の比較的裕福な家庭に長女として生まれます。一般的に“林昭(lin zhao)”と呼ばれていますが、本名は彭令昭。父親の彭國彦は教育のある人で行政機関の長に任命されたりしていますが、清廉潔白な人柄が逆に災いして後に無実の罪で投獄されています。母親の許憲民は、中国の女性によく見られる事業意欲の旺盛な人で国民党の中央政界や実業界でも活躍した人のようです。少なくとも中国共産党による「解放」までは。

 つまり林昭は中国の上流階級の家庭で育ったわけです。1947年、彼女はキリスト教系の蘇州景海女子師範学校に入学し質の高い教育を受けます。当時の中国では珍しい「自由」とか「人権」とか、全く新しい近代的な概念を彼女はここで学ぶわけです。ただ、彼女は中国の知識人らしく中国の古典に対して特別な才能を持っていたようですね。この本を読むときに一番苦労したのがそれです。とにかく彼女の残した漢詩の意味が私には理解できないんですよ。

 キリスト教共産主義がどう結びつくのか、私にはよく理解できないのですが、この景海女子師範学校時代に彼女は中国共産党員になるのです。しかし、その秘密活動が学校を通じて国民党政府に伝わり、これを察した中国共産党は党員に蘇州から逃れるように命じます。ところが彼女はその命令に従わず党籍を剥奪されてしまいます。その後彼女はこの一件を後悔してより一層中国共産党の革命闘争に傾倒していくことになります。

 景海女子師範学校での成績がきわめて優秀だった彼女に、両親は大学へ進学してもらいたかったようですが、中国共産党の活動に傾倒している彼女は党のプロパガンダ機関である蘇南新聞専科学校に飛び込みます。そこでも林昭は成績抜群で、女性としても魅力的だったようですね。中国の女性に時々いる、頭脳明晰で自由闊達、性格が明るくはっきりものを言うタイプの女性だったのでしょう。

 しかし、過酷な運命がここから始まってい行きます。時は土地再配分を目的とした農村改革運動まっただ中、彼女は革命の実践に学ぶために農村改革に実行部隊に志願するのです。記録によればこの農村改革によって“悪徳地主”とされた100万から200万の人々が虐殺されています。部隊は食料徴収の任務も負っており、農民の抵抗によって殺される危険もあったあようですね。

 最初は家庭や景海女子師範学校で受けた宗教的、近代的な教育による考え方と、党に逆らうものは殺してもかまわないという中国共産党の革命思想との間に葛藤を感じていた林昭も、やがてそれに慣れていきます。むしろ痛快にさえ思うようになるのです。子供の頃に受けた“小ブルジョア階級的”感覚を振り払うことで、再び中国共産党の隊列の中に戻れたという感激を彼女は感じていたのです。

 わかりますよね。
 これは共産主義特有のカルト宗教的洗脳です。時々思うのですよ、共産主義とは社会科学のお面を付けたカルト宗教だなってね。

 その後「常州日報」で仕事をした後、1954年に北京大学中文系新聞学専業(つまり、中国語学科新聞学専攻)に合格します。この時の感覚について彼女は「党への情熱が冷め、政治にも疲れた」と語っています。そもそも、両親の反対を押し切って蘇南新聞専科学校に飛び込み、農村改革運動に没頭したことについても後に「青年の純粋な情熱を利用して政治を行うことは極めて残酷なこと」と語っています。

 ここで話が終わっていれば彼女は普通の人生を歩めたのかもしれません。

 ところが、1957年から58年にかけて彼女は反右派闘争の「右派」にされてしまうのです。1956年、有名な毛沢東の「百花斉放 百家争鳴」とそのすぐ後に来る「引蛇出洞」に巻き込まれるのです。洗脳が溶けてしまえば自由活発で頭脳明晰な女性ですから、その活動や発言も共産党プロパガンダの枠からはみ出していくのは必然です。そして、毛沢東は社会の中の一定割合存在する反革命分子を打倒せよと命じたのです。

 共産主義社会の中では、そのそのプロパガンダの枠をはみ出すものはすべて「反革命」です。こうして今度は林昭は“打倒される側”としてつるし上げを受ける側になってしまいます。

 すでに蘇南新聞専科学校にいた頃から林昭は結核を病んでいました。1959年、それが悪化したので彼女は母親の元へ戻り上海で療養生活をします。この間、蘭州大学の学生たちと現状の政治状況を批判する「星火」という雑誌の編集に協力します。ちょうど大躍進運動の期間ですね。彼らはこの運動が農村を破壊するバカ騒ぎにすぎないことを見抜いていたのです。ただ、林昭は投稿はしても、積極的ではなかったような感じですね。それがどういう結果をもたらすのかもわかっていたような感じです。

 1960年、「星火」の第二号が完成し出版を予定していたところ、密告によって関係者43名が逮捕され、その内25名が反革命集団のメンバーとして判決を受けます。林昭も1960年10月に投獄されました。以来、彼女は7年間獄中生活を送り、約50万字に及ぶ文章を書き続けます。その内容は直接的表現で中国共産党政権の独裁批判や毛沢東に対する風刺だったのです。そして、この「血書」という書名を見てわかるように、紙も筆も無いときは、彼女は自分の肉体を傷つけて流れ出る血を使ってシャツやシーツなどに書き続けたのです。

 1962年、結核治療のため入院したとき、彼女は中国共産党に民主主義への改革を望むことは無駄なことだと悟ります。そして中国共産党の暴政に再び徹底的に反抗すること決意するのです。同年9月、「中国自由青年戦闘連盟」の綱領と規程を起草し、海外に向けて「我々は無罪である」、「北京大学校長陸平への手紙」を発表します。12月、林昭再逮捕。1965年5月、「中国自由青年戦闘連盟」事件の主犯として懲役20年の判決。

 そして、1968年4月29日、上海提籃橋監獄に収監された林昭は死刑判決を受け、即日銃殺に処されます。享年36歳。

 個人的な感想ですが、この女性は違う時代、違う場所に生まれていれば、実力のある芸術家や事業家、あるいは政治家として成功していた人かもしれないと思いますね。よく見かけるじゃないですか、自分のような平凡な人間には計り知れない内に秘めたエネルギーと才能に恵まれた人です。彼女もおそらくそういう人です。その内からあふれ出るエネルギーと人間の自由を根こそぎ奪い尽くす共産主義の強大な圧力の間で、彼女は肉体も精神も粉々に破壊されたという、そんな感じがするのです。

 私にはとても手の届く女性ではないけれども、一目会って話でも聞きたかったなぁ、なんて思いますよ。

 あの国の、あの体制の中で、いったい何人の有望な若者たちがこんな風に殺されていったことか・・・。

 

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lin zhao

 

ロシアのウクライナ侵略を台湾人はどう見ているのか

 台湾の「民報」サイトに興味深い投稿記事が掲載されていたので簡単に翻訳してみました。2022年3月30日に掲載されたものですね。

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ロシア・ウクライナ戦争の特質と警告
葉俊雄(在米台湾人)

 2月24日、ロシアはウクライナへの侵略を開始、全世界が震撼した。ロシア軍は敵を軽く見ていたが、情報の錯綜や補給の準備不足、戦術は拙劣で制空権の確保も難しく、通信システムも安全ではなかった。一方、ウクライナは軍民ともに国家防衛を決意しており、勇敢に奮戦、高度な非対称戦術を発揮、熟知している地理的優勢を有効に活用し、機動的遊撃戦によって度々ロシア軍を撃破する戦果を挙げている。ロシア軍は“敵を知らず、己も知らず”という低レベルの戦略によって重大な損害を被り、万を越える兵士が戦死した(十数名の高級軍幹部及び指揮官を含む)。軍の志気は落ち、進撃は停滞、ロシア軍の速戦即決の計画は崩壊した。

 ロシアのプーチン大統領は正当な理由のない侵略戦争で世界の平和と安定を大きく破壊し、世界中の人々がこれを憤り非難した。アメリカを中心とした民主主義陣営は波状的に制裁を実施し、その範囲は経済、金融、貿易、空路など多くの領域に及んでいる。たとえば、最恵国待遇の取り消し、外貨準備の使用制限、金融機関の個人資産の凍結、輸出入の制限、領空閉鎖、外資企業のロシア国内での事業停止、原油輸入の禁止など、その対象は上は公的機関から企業、下は個人にまで及んでいる。これら一連の制裁はロシア経済に大きな損害を与えており、ルーブルは大きく下落、インフレの発生、原油輸出の急減少、外貨収入の激減、失業の増加、人々の生活の困窮などといった大きな苦しみをロシアにもたらしている。厳しい制裁は弾の飛び交わない戦争を始めたようなものだ。

 これに対して、ウクライナのゼレンスキー大統領は首都キーフを堅く守っており、国民の志気を大きく高めている。全国民が固い決意を持って果敢にロシア軍に抵抗、海外にいたウクライナ人6万人が帰国して参戦している。さらにゼレンスキー大統領はオンラインで民主主義国の政府要人や国会議員と頻繁に会議を行い、説得力のある感動的な演説で高い評価を勝ち取った。世界各国は次々と軍事、情報、通信、経済、人道などに関する支援を提供しており、これらはロシアの侵略に対する民主主義陣営の団結と協力にもつながっている。

 民間のハッカー組織アノニマスも自分たち独自に攻撃を開始し、ロシアの政府や企業のサイトや情報収集衛星、電力ネットワークの制御システム、鉄道の運行システムなどにハッキング工作を仕掛けている。また、一万名以上の外国人がゼレンスキーの呼びかけに応じて「国際義勇軍」に参加し、ウクライナに向かった。外交、心理、世論、認知、サイバー空間、情報、科学技術、電子などの領域でも戦闘が始まっている。

 今回の戦争はこれまでの戦闘とは大きく異なっており、注意すべき点が多い。現代の戦争はすでに単なる軍隊どうしの戦いというわけではない。当然、先進的武器(無人機やミサイル、衛星)は依然として必要条件だが、戦争の形態はさらに複雑となり、全体的かつ多様性をもち、全てが繋がっている。

 台湾政府上層部は将来の戦争の特質を深くかつ全面的に研究し、国家の総体的戦略方針と目標、各部署の行動について厳粛に検討するとよいだろう。そして早期に研究開発、機関設置、訓練、強化を進めるべきだ。以下いくつかの簡単な意見を提供するので政府関係者の参考にしてもらいたい。

一、国家の安全を守ることは、もとより国防部の使命であり、その他の政府機関(たとえば経済、財政、科学技術、デジタル、交通など)も、戦時における役割に責任を負わなければならない。戦争が発生する確率がたとえ小さくても、それがもたらす被害はきわめて大きく、コストも非常に高くつくのだから、各政府機関は戦争をリスク管理の一つとして扱い、その対策を策定しておく方がよいだろう。(実際的なリスク評価をしてこなかった機関は速やかに行うべきだ)たとえば、要となる機関設備の強靱であるか、戦備や民生物資は十分か、通信システムは多様であるか、エネルギーと輸送システムは防御されているか、情報の安全性は確保されているか、担当者の技術と素質は養成できているか、などである。

二、国家防衛に対する国民の決意は戦争に勝つための鍵となる非常に重要な要素だ。全国民が国防戦力となり、危機に対して備えるべきである。私たちが望む「国民皆兵」の役割を達成するには、有効で実行可能な行動方針や物資、時間、指標を持つ必要がある。そして強大な侵略圧力を克服したいと思う。これはパラダイムシフトの具体的実践となるだろう。

三、友好国の支持と援助も重要な支えとなる。台湾は世界の生存システムの中で、先ず代替不可能な価値を持たなければならない(半導体産業のように)。そして積極的に国際社会に参与し貢献するのだ。たとえば、災害支援、建設、貧困解決等の国際的業務に協力して、世界の中で無くてはならない地位を築くのだ。人を助ければ必ず人から助けられる。台湾は必ず信頼できる多くの同盟国を得ることができるだろう。

四、台湾は平和的非暴力的手段によって独裁体制から民主主義体制への転換を成し遂げた。この誇るべき成果は世界の民主主義の手本であり、政治的自由度のランキングで第7位という地位を達成している。自由と民主主義を守ることは民主主義陣営共通の使命であり、現在のウクライナだけではなく、かつてはハンガリーポーランドチェコ・スロバキアなどもこの闘いを経験している。自分の国のためだけではなく、自由と民主主義という崇高な理想を守るために闘ったのだ。独裁者の威嚇と脅迫に対して、台湾は恐れることなく、民主主義陣営の側に立って自由と民主主義の体制を堅く守り続けなければならない。外的に厳しい侵略を受けたとき、この堅い信念と意志によって、必ずや民主主義陣営の「集団的防衛」の支持と援助を得ることができるはずだ。

五、後方支援と補給は軍隊の継戦能力に必要なものであり、補給を絶たれた部隊は、弾薬食料を失って悲惨な状況に陥ってしまう。台湾は島国であり四方を海に囲まれているので難攻不落である。台湾海峡によって中国から隔離されている(幅は約130から180キロ)。中共が軽率にも世界の安定を破壊し国際関係のルールを破って台湾侵略を画策した場合、我が軍は台湾海峡においてその補給線を破壊することができる(同盟国軍の協力が有ればさらによい)。我が軍は本島及びボウコから出撃、南北から連携機動で突撃し台湾海峡で共産軍の補給をブロック、さらに前後から共産軍を前後から挟み撃ちする。台湾海峡の戦いはウクライナの陸戦とは全く異なるので、異なった戦略・戦術の考え方が必要となる。これについて、我が国の国防当局はボウコ(及びその他の離島)の戦略的地位を重視し、その軍事的展開を強化したらよいだろう。同時に適切な海戦用の武器を慎重に選ばなければならない。たとえば、軽便で高速機動が可能な高性能艦船、軍用無人機、ミサイル、魚雷、戦闘機、電子作戦用の装備だ。

【民意論壇】俄烏戰爭的特質與警示 | 民報 Taiwan People News

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 久しぶりの翻訳なので多少自信のない部分もありますが、意味的には間違っていないと思います。私が注目しているのは二番目の意見ですね。国民に国防意識がなければ、先ず土台がないということなので、どんな武器があろうと、どんなに強力な同盟国があろうと、戦争に勝つことはできません。というか、相手に侵略を断念させることができません。

 いずれにしても、中国という強大な敵を目の前にしている台湾人の考え方は日本人よりはるかに具体的ですね。日本の方がよっぽど心配ですよね。

ウクライナに勝利を! その二

 ロシヤによるウクライナ侵略戦争の原因や背景については突拍子もない陰謀論も含めていろいろ言われているけれども、その真実が解るのはおそらく数十年後の事だと思いますね。だから私としては安易にマスメディアやネットで言われていることに飛びつきたくないのです。

 何しろ人間というものは一旦ある見方を信じてしまうと、それに反する情報に接しても認知的不協和を起こして拒絶してしまいます。そうすると見えるものも見えなくなるし、考え方の幅も狭まってしまいます。言ってみればカルト宗教の信者のようになってしまうのです。

 私の情報源は日本のマスメディアもありますが、中文が読めるので中国を除く中文メディアでも情報を採っています。中文メディアもいろいろありますが、最初から情報操作を前提にして作られている大陸系のメディアは無視します。どう言うわけか日本のマスメディアより自由中華圏のメディアの方が情報が早いように思いますね。

 ネットについてはできるだけ現地のものを見ようと心がけていますが、ロシア語もウクライナ語もわからないので、YOUTUBEの動画などは機械翻訳で見るしかありません。動画の表題はともかく音声の機械翻訳は残念ながらほぼ役に立ちませんね。雰囲気だけは伝わりますが、多分にプロパガンダ的要素が入っているのは仕方ありません。戦争ですからね。

 以上のような情報源から私なりに理解した現状ですが、やはりウクライナ側の対応は見事ですね。とにかく軍だけでなく国民全体の冷静さには驚くばかりです。肝が据わっているというか、こういう事態に対する組織的、精神的準備が十分にできていたのでしょう。ほとんどパニック状態が起きていないことにウクライナ国民の覚悟の程を感じることができます。

 ウクライナ軍指導部が最初から予想していたのかどうかはわかりませんが、ロシア軍の開戦後数日間の進撃に対する反撃は、おそらくほぼ完璧だったのではないでしょうか。予想進撃路の周囲に展開するウクライナ軍はロシア機甲部隊の最も強力な先頭集団をそのままやり過ごし、その補給線が延びきったところで、ロシア軍補給部隊を壊滅させ補給線をズタズタにしてしまうというものですね。

 ロシア軍が採った戦術は非常に古典的な電撃戦だったように見えます。湾岸戦争イラク戦争では、数週間かけて念入りに航空攻撃やミサイル攻撃でイラク側の抵抗拠点や物資集積地点を虱潰しに潰していたのを覚えていますが、今回のロシア軍はとにかくスピードで押し切ろうとしたような感じです。これは何となく第二次世界大戦のやり方に似ていますね。

 これはウクライナ側にとっては非常に幸運なことで、進撃路周辺の兵士たちは爆撃やミサイルに怯えながら、数週間防空壕の中で堪え忍ぶ必要がなかったことになります。当然人的損失も物質的損失もほとんどなかったに違いありません。彼らは心おきなくロシアの補給部隊の装甲車両やトラックを破壊し、焼け残れば積載してあった武器や弾薬、食料を奪うこともできたでしょう。

 そういえばそういう映像はたくさん公開されていますよね。人によっては全てフェイクだねつ造だということなのでしょう。しかし、彼らが採った戦術から考えれば、そのような映像を採ることは至って簡単だったはずです。たぶんロシア軍の補給線の至る所でそのような状況が展開されていたはずですから。

 ロシア軍機甲部隊の先頭集団としては、最初の数日間の快進撃で、あっという間に主要都市のいくつかを制圧して戦争は終わると思ったとしても不思議ではありません。ウクライナ側はおそらく最初の内は全く無抵抗だったはずですから。しかし、補給線が伸びきった頃に後ろの方で後続の部隊が手ひどく攻撃され始めます。

 しかし、ロシア軍の先頭集団の第一目的は一刻も早く目標の都市へ進撃することです。したがって後続部隊の応援のために兵力を回すことはできません。指揮官はイヤな予感はしたでしょうね。ウクライナ側は虚を突かれたのではなく準備万端で迎撃してきたのかもしれないと感じたかもしれません。その通り。虚を疲れたのはロシア軍の方だったわけですよ。

 ただ、ロシア軍の先頭集団はあっという間に主要都市に到達します。もしウクライナ側に戦意がなければ、市民は集団で逃げ出しウクライナ兵もそれに紛れて脱出をはかるでしょう。最悪の市街戦も起きることなくゼレンスキー大統領は捕らえられるか、場合によれば裏切った味方に殺されてこの戦争は終わったかもしれません。

 ところが主要都市の市民がパニックに陥って逃げ脱す現象が起きていたという話は全く聞きません。それどころか市民は様々な形で防衛戦への協力を組織的に行っていたのです。日常の仕事もやりながらです。こんなことはウクライナ国民に確固たる国民意識がなければ不可能なことです。今の日本人にこんなことできますかね。正に敬意に値する国民ですよ。ウクライナ人は。

 こうなるとロシア軍はいくら装備がよくても攻め倦ねることになります。何しろ都市市民に対する無差別攻撃をする以外に相手の戦力を挫くことは不可能になるからです。しかし、いくら何でも情報環境の発展した21世紀の世界で公然と市民に対する虐殺行為を行えば確実に世界全体を敵に回すことになるでしょう。でも、プーチンが折れない以上、ロシア軍それをやらざるを得なかったわけです。

 いくつかの条件があると思いますが、ウクライナ側はロシア軍の目標を喪失させて再反撃するという手が使えると思いますね。つまり、キエフをはじめいくつかの主要都市を無血開城してしまうという手です。ゼレンスキー大統領も一瞬姿を眩ませます。「逃げた」でも「殺された」でもいいので、ロシア側に戦争が終わったと信じさせることが重要ですね。少なくとも兵士たちの間では。

 その間に、再びロシア側の補給線上の敵を徹底的に破壊する準備を進めておき、ロシア軍の志気が十分に弛緩した頃に一斉攻撃を仕掛けるのです。いなくなったはずのゼレンスキー大統領も居場所不明のまま声明を発表して軍と国民の志気を鼓舞するんです。ロシア軍は狂ったように動き回って散在するウクライナ軍の拠点を攻撃するはずですが、むしろかえって個別撃破されてしまうでしょう。つまり、壊滅です。

 まぁ、これは夢想にすぎませんが、結局、イラクアフガニスタンアメリカ軍の最後もそんな感じだったんじゃないですか。アメリカはそれでも民主主義の国なんで、壊滅する前に軍隊を撤退させることができましたが、プーチンというボケ老人の独裁国家にそれができるのでしょうかね。

 核戦争だけは起きませんように・・・。
 

ウクライナに勝利を!

 恥ずかしながら、今度のロシアによる侵略戦争で初めてウクライナが独立国家だったことを知ったんですよ。ウクライナの人たちには大変申し訳ないのですが、興味が無ければ、まぁ、こんなものですわ。すみません!
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 フィンランドは一九一七年の十二月六日、ロシア十月革命の混乱の中でロシア帝国からの独立を勝ち得た。しかし、国内ではソ連に共鳴するフィンランド赤衛軍と、フィンランド白衛軍が深刻に対立、流血の戦闘を続けていた。ソビエト政府はフィンランド極左分子を煽る一方、影に日向にフィンランド赤衛軍を支援した。独立宣言後もフィンランド国内に居座っていた四万ものソ連軍の支援を受けた赤衛軍は、瞬く間に首都ヘルシンキを含むフィンランドの三分の一を制圧、フィンランド共和国政府は首都をボスニア湾に臨むバーサに映さざるを得ない事態となった。
 一方、バーサに追い詰められたことから、一時国外に亡命していたフィンランド白衛軍司令官マンネルヘイム将軍は、一九一八年一月、再びバーサに上陸、フィンランド白衛軍の将兵二千名を率いて、タンペレの近郊で赤衛軍を撃破した。
 その後、ソ連が主張するように、ドイツ帝国のゴルツ将軍率いるドイツ軍一個師団の支援を受けたフィンランド白衛軍は国内から赤衛軍を一掃した。
 さて、その後まもなくフィンランド政府の反動派はフィンランド湾の島々とカレリヤ地峡に対ソ戦のための橋頭堡を建設し始めた。
 と、ソ連の戦史は非難する。
 その通り、内戦の原因を作り、それを煽りたてるような隣国を誰が信用するものか!
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 一時期フィンランドという国に興味を持って色々と調べていて見つけたのが『雪中の奇跡』(梅本弘著 大日本絵画)という本でした。上の一節はこの本のP13「我々は屈服しない」という章の一部です。
 それから約20年、圧倒的な軍事力による圧力でバルト三国を呑み込んだソ連は、フィンランドに対してカレリヤ地峡の防衛戦の撤去とフィンランド領土2700平方キロの割譲を要求しフィンランド政府を追い詰めていきます。そんな無茶な話、フィンランド側が受け入れられるわけないじゃないですか。
 1939年11月26日、カレリヤ地峡の国境線で小さな小競り合いが発生、これを口実にソ連は不可侵条約を一方的に破棄し侵略を開始。しかし、実際にはこの小競り合いの前にソ連は国境付近に兵力45万(54万の説も有り)、砲1880門、戦車2384両、航空機670機の戦力を集結させていたんですよ。やる気満々ですよ。
 当時のフィンランドの人口は400万人弱。この人口では10万の兵力を維持するのも大変なことです。もちろん重火器、戦車、航空機の全てが不足。世界中があっという間にフィンランドソ連の軍事力に屈してしまうだろうと考えたって無理はありません。
 ところが、まぁ、具体的な戦争の経過についてはご自分で調べてもらえばと思いますが、フィンランド側が軍事的には圧倒的に勝利してしまうのです。政治的には領土の一部を奪われるという敗北で終わりましたが、全土を制圧するというスターリンのもくろみを彼らは完全に撃破してしまったのですよ。
 この時、フィンランドの兵士の中には日本の三八式歩兵銃で戦った兵士もいたんですね。
 結局、1941年の独ソ戦の開始と共にフィンランドソ連に対して宣戦布告。ドイツが敗退していくにつれてソ連との和平交渉が始まり、厳しい条件で休戦協定を結びますが、いずれにしてもフィンランドは自国の独立を守り通すのです。
 しかし、ネオナチどころか、本物のナチスドイツを国内に引き入れてまでソ連と戦わなければならなかったところに、この時代にこの国の独立を維持することの困難さを感じますよね。
 でも、それが国家の独立というものなんじゃないでしょうか。
 ウクライナも色々と言われていますが、上品でおきれいな国でなければ独立戦争を戦っちゃいけないんでしょうかね。
 きれい事じゃすまないんですよ、独立のために戦うってことはね。

北京冬季オリンピックについて

 中共政府は1988年からウイグル人に対して強制的な計画出産政策を強制している。つまり、結婚後3年間は子供を作ってはいけない、第一子誕生後はその子供が3歳に達するまで第二子を作ってはいけない、そしてウイグル人の女性は結婚前は避妊リングによる避妊手術を受けなければならならず、そうしなければ結婚証明を発行してもらえない等々である。


 各クラスの出産計画委員会の幹部や郷長・村長が、もし避妊リングの手術を受けていない女性を発見したり、手術を受けたにもかかわらず妊娠した女性を発見したならば、犯罪者と同様にトラクターやトラック、警察車両や救急車を使用して、その女性を付近の医療所に移送し、医者に対して堕胎手術を命じなければならない。これは出産まで数日となっている胎児も例外ではない。

 ウイグルから海外へ脱出してきた医師たちの供述によると、「違法妊娠」した女性たちに対する堕胎手術はきわめて残忍なものである。もし胎児が妊娠7~8ヶ月となっていた場合、堕胎手術はとても困難なものとなる。医師たちは一種の針のようなものを子宮に差し込んで、先ず胎児を母親のお腹の中で生きたまま破砕し、その後でその肉片を取り出していくのである。この「違法妊娠」には、結婚後3年以内にできた子供、第一子誕生後3年以内にできた第二子、そして第三子以上の子供が含まれている。

 さらに受け入れ難いのは、ある地域では妊娠中のウイグル人女性に対して、本人の同意が無いまま医師が避妊施術を行い、二度と子供が産めない体にしてしまうことさえあるのだ。

 2004年までに、少なくとも100万に達する嬰児がこのように殺され、数十万の農村女性が劣悪な医療条件の下での強制堕胎手術によって命を落としたり、心や体に重大な傷を負っている。
(「東突厥斯坦 維吾爾人的真実世界」HUR・TANGRITAGH著 前衛出版社 P141~P142)

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 久しぶりの投稿で、いきなりこんな話を載せるというのは、まぁ、どんなものかなぁ、とは思いましたが、北京冬季オリンピック開催後にふさわしい話題ではないかと思い、思い切って載せました。

 オリンピックに参加する各国の選手たちの真剣な闘いについて、どうこう言うつもりはありません。私だって彼らの素晴らしい活躍に感動するし、日本の選手が上位にくい込みメダルを獲得すれば嬉しいんです。

 でも、中華人民共和国でオリンピックを開催するということの裏には、どうしてもこうした暗い側面が存在していますよね。まぁ、確かにどの国にも問題はあるし暗い側面も存在しますが、この国のその暗さは度を超して際だっていますよね。

 この本が書かれたのは2010年前後ではないかと思います。台湾での出版は2016年です。それから10年、チベットの状況はますます酷くなり、南モンゴルの状況も悪化しているようです。香港は世界が見守る中で大弾圧が繰り広げられ、台湾も何時侵略を受けるかわからない状況です。

 しかし、何よりも大多数を占める漢民族自体が中共の支配の中で数千万人も虐殺されてきたのではないですか?

 はたして今のような状況を維持したままで「中国人」であることに、いったいどんな誇りと夢が持てるのでしょうかね。

何だかいやな時代だ

 よく考えれば、いや、よく考えなくても、ネットで繋がっている以上、繋がっている先の情報を「盗み」たくなるのは、たとえそれが経済的利益に結びついていなくとも、人間の持っている本能的なスケベ根性のようなものであって、それを遮断することは容易なことではないのかもしれない。

 名前や年齢、住所、職業、学歴をはじめ、既婚、未婚、子供の有無や人数、趣味や趣向、そこから推測される性格や考え方、さらには人種や民族、社会の中でそれが置かれている立場、もっと進めば顔認証情報やその他の生態情報まで、ネットに接触する度合いが深ければ深いほど、それらが外側に晒されることになる。

 ネット上の検索サービスは便利だけれども、利用する側がそれを利用しているように見えて、実は検索サービスを提供する側がこちらの個人情報を際限なく「盗み」出す道具になっているわけだ。動画サイトでどんな動画を見ているのかも、こちらが選んでいるように見えていて、実は動画サイトの運営者側がこちら側の興味や嗜好を「盗み」出す道具でしかない。

 ネットに依存すればするほど、こちらの一挙手一投足が誰かに監視され、その情報が「盗み」出され収集されていくことになる。そして、もしかしたらいつの間にか、利用する側と利用される側の立場が逆転してしまって、強大なネット企業やそれと結びつく国家の方が莫大な数の利用者を洗脳し、支配できるようになるのかもしれない・・・と言うより、もう現実にそうなっているのか。

 去年の暮れに行われたアメリカ大統領選挙では、最終的にトランプ大統領の側の情報が旧来のメディアからもネット空間からも排除され、彼らの側の主張や情報提供がまともに行われなくなってしまった。彼らの側の主張や情報提供が、たとえ虚偽であったとしても、そのような主張や情報提供があるということ事態は事実のなのだから、自由民主主義の社会の中でそれが排除されるのは異常なことだ。

 最近では、所謂ワクチン問題だ。実際に問題は起きている。現場で治療に当たっている開業医の方が、限られた手段で細々と伝えているけれども、旧来のメディアでもネット空間でも、そうした意見や情報提供は、ほとんど排除されている。「イベルメクチン」という単語すら口にしてはいけないような状況だ。

 何となく映画「未来世紀ブラジル」の中に生きているような感じがする。あらゆる情報が誰かによって収集され、彼らによって正しいとされた情報のみが世界に流されていく。それに疑問を持つ人間は社会の情報空間から完全に抹殺されていく。それにしても、あの映画は本当に未来を先取りしていたんだ。芸術家は、時に科学者よりも的確に未来を描くことができるらしい。

 個人の力でどこまで抵抗できるのかはわからない。フェイスブックはやめた。ラインはもともとやっていない。その他のSNSも興味はない。ただ、できるだけネットと関わらないように努力はしたいけれども、YOUTUBEは見てしまうし、ネットの検索サービスも使ってしまう。そもそもスマホやパソコンを使えば個人情報はダダ漏れだ。

 何だかいやな時代だ。

岸田総理は憲法を改正する気があるのかなぁ

 岸田総理は憲法改正に本気で取り組むつもりがあるのでしょうかね。なんだか頼りないですよね。まぁ、あんまり期待せずに眺めておきましょうか。

 ということで、この憲法についてずっと疑問に思っていることを書いてみようかと思います。まぁ、別に法律の専門家でもない平凡な人間のくだらない考えですが、自分のブログなんだし、ちょっと書いておこうかと思います。

 基本的には私も現行憲法は改正した方が良いと思っています。改正できなくても国民投票はやった方が絶対に良いと思うのです。何しろこの日本国憲法は連合軍の占領下において成立した憲法であって、占領した国の最高法規を勝手に変更してはいけないというハーグ陸戦条約違反の憲法じゃないですか。

 少なくとも日本人にまともな主権者意識が有ったならば、昭和27年の主権回復後すぐに国民投票をやって、これを認めるか、あるいは改正ないし破棄するかの選択をしたはずです。そうはならずにこの憲法が今日まで後生大事に守られているということは、敗戦と共に日本人は完全に主権者意識を失ってしまったという情けない証拠ですよね。

 私がずっと疑問に思っているのは、前文にある、例の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の「諸国民」を、多くの人が「諸国」と混同しているのはなぜなのだろう、という点です。この憲法の前文をきちんと読めば、国(=政府)と国民を区別して扱っていることは明確です。だから、この部分の「諸国民」は、正確に諸国の「国民」と読まなければならないはずです。

 憲法前文第一段落には重要なことが三つ書いてあります。①主権は国民にあること、②政府の行為によって戦争が起こること、③国民は正当に選挙された代表者を通じて行動し政府をコントロールすること、です。つまり、簡単に言えば日本は国民が主権を有する自由民主主義国家である、ということです。

 政府が戦争を起こす、という部分を日本政府が邪悪だから戦争を起こすのだ、などと言いだしてしまう、頭の弱い方々が団塊の世代あたりにけっこういたりしますが、これは本来もっと単純明快な話です。もし私がある外国人を憎んで殺害した場合、これは犯罪ですよね。どちらかの国の管轄で犯罪者として裁かれます。当然ですよね。

 しかし、政府が国家の意思として国民を組織し、ある別の国に対して武力行使を命じ、私がその中で「敵」である外国人を殺した場合、これは犯罪にはなりません。東京裁判でブレークニー弁護人が主張したとおり、戦争における殺人は合法的なのです。だから戦争は政府の行為によって起きるとこの憲法には書いてあるわけです。そして、この憲法は、主権者である国民が民主主義的な手続きを通して政府をコントロールしなさい、と言っているのです。

 さて、もう一度「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」に戻りますが、憲法前文第一段落の内容は日本だけではなく全ての国に当てはまりますよね。どの国も戦争を起こすのは政府であって、国民ではありません(中には好戦的な国民もいますがね・・・)。中国人であっても韓国人であっても、まぁ、どの国の国民であっても、戦争で自分の生活が破壊されるのはごめんだと、一般的には思っているはずです。

 問題は、それら諸国民が正当な選挙によって選ばれた代表者によって政府(=国)を民主的にコントロールできているかどうかです。中華人民共和国はどうでしょうか。朝鮮民主主義人民共和国はどうでしょうか。ロシアや韓国はどうでしょうか。もし日本の安全保障に直接かかわってくる国々の中に政府が国民のコントロール下にない国があったとしたら、それらの国に「公正」や「信義」は期待できるのでしょうか。

 何度も言いますが、憲法前文のこの部分に使われている単語は「諸国民」であって「諸国」ではありません。そして、この憲法前文の世界観は、世界中の国々が日本と同様に自由民主主義国であることを前提にしているものなのです。この前提に立って、初めて第九条が存在しているということは、小学生程度の理解力でもわかるのではないでしょうか。

 民主主義国は戦争しない、なんてのはお伽噺にすぎませんが、まぁ、とりあえずそれはちょっと脇に置いときましょう。

 法律というものも、おそらく普通の文章と同じように全体があって各部分が存在しているものだと、私は思っています。第九条もその他の部分から独立してぽつんとそこに存在しているわけではありません。特に前文はこの憲法の世界観の土台です。この土台があって各条文の意味が定まってくるのです。もし、この前文の土台が現実的に成立していなければ、各条文の意味や効力が変わってしまうはずです。

 ここまで言ってくれば簡単に想像できると思いますが、国民が主権者として民主的に政府をコントロールできない中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国のような国が近隣に存在する以上、第九条は「無効」とする以外、この憲法上の解釈はできないはずです。したがって、現状では日本は軍法を復活させて軍隊を持つことも可能だし、有効であるなら核武装もできるはず、と私は思うのです。

 そもそも憲法の存在は自国の生存権の表明です。自国の生存権を否定する憲法など存在し得ません。ところが日本国憲法第九条は、言ってみれば「私は存在しない、と言う私は存在している」とでも言っているようなものなのです。やはり、改正するのがベストであることに変わりありません。

 岸田総理はホントにやる気あるのかなぁ。