ウクライナに勝利を!

 恥ずかしながら、今度のロシアによる侵略戦争で初めてウクライナが独立国家だったことを知ったんですよ。ウクライナの人たちには大変申し訳ないのですが、興味が無ければ、まぁ、こんなものですわ。すみません!
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 フィンランドは一九一七年の十二月六日、ロシア十月革命の混乱の中でロシア帝国からの独立を勝ち得た。しかし、国内ではソ連に共鳴するフィンランド赤衛軍と、フィンランド白衛軍が深刻に対立、流血の戦闘を続けていた。ソビエト政府はフィンランド極左分子を煽る一方、影に日向にフィンランド赤衛軍を支援した。独立宣言後もフィンランド国内に居座っていた四万ものソ連軍の支援を受けた赤衛軍は、瞬く間に首都ヘルシンキを含むフィンランドの三分の一を制圧、フィンランド共和国政府は首都をボスニア湾に臨むバーサに映さざるを得ない事態となった。
 一方、バーサに追い詰められたことから、一時国外に亡命していたフィンランド白衛軍司令官マンネルヘイム将軍は、一九一八年一月、再びバーサに上陸、フィンランド白衛軍の将兵二千名を率いて、タンペレの近郊で赤衛軍を撃破した。
 その後、ソ連が主張するように、ドイツ帝国のゴルツ将軍率いるドイツ軍一個師団の支援を受けたフィンランド白衛軍は国内から赤衛軍を一掃した。
 さて、その後まもなくフィンランド政府の反動派はフィンランド湾の島々とカレリヤ地峡に対ソ戦のための橋頭堡を建設し始めた。
 と、ソ連の戦史は非難する。
 その通り、内戦の原因を作り、それを煽りたてるような隣国を誰が信用するものか!
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 一時期フィンランドという国に興味を持って色々と調べていて見つけたのが『雪中の奇跡』(梅本弘著 大日本絵画)という本でした。上の一節はこの本のP13「我々は屈服しない」という章の一部です。
 それから約20年、圧倒的な軍事力による圧力でバルト三国を呑み込んだソ連は、フィンランドに対してカレリヤ地峡の防衛戦の撤去とフィンランド領土2700平方キロの割譲を要求しフィンランド政府を追い詰めていきます。そんな無茶な話、フィンランド側が受け入れられるわけないじゃないですか。
 1939年11月26日、カレリヤ地峡の国境線で小さな小競り合いが発生、これを口実にソ連は不可侵条約を一方的に破棄し侵略を開始。しかし、実際にはこの小競り合いの前にソ連は国境付近に兵力45万(54万の説も有り)、砲1880門、戦車2384両、航空機670機の戦力を集結させていたんですよ。やる気満々ですよ。
 当時のフィンランドの人口は400万人弱。この人口では10万の兵力を維持するのも大変なことです。もちろん重火器、戦車、航空機の全てが不足。世界中があっという間にフィンランドソ連の軍事力に屈してしまうだろうと考えたって無理はありません。
 ところが、まぁ、具体的な戦争の経過についてはご自分で調べてもらえばと思いますが、フィンランド側が軍事的には圧倒的に勝利してしまうのです。政治的には領土の一部を奪われるという敗北で終わりましたが、全土を制圧するというスターリンのもくろみを彼らは完全に撃破してしまったのですよ。
 この時、フィンランドの兵士の中には日本の三八式歩兵銃で戦った兵士もいたんですね。
 結局、1941年の独ソ戦の開始と共にフィンランドソ連に対して宣戦布告。ドイツが敗退していくにつれてソ連との和平交渉が始まり、厳しい条件で休戦協定を結びますが、いずれにしてもフィンランドは自国の独立を守り通すのです。
 しかし、ネオナチどころか、本物のナチスドイツを国内に引き入れてまでソ連と戦わなければならなかったところに、この時代にこの国の独立を維持することの困難さを感じますよね。
 でも、それが国家の独立というものなんじゃないでしょうか。
 ウクライナも色々と言われていますが、上品でおきれいな国でなければ独立戦争を戦っちゃいけないんでしょうかね。
 きれい事じゃすまないんですよ、独立のために戦うってことはね。