岸田総理は憲法を改正する気があるのかなぁ

 岸田総理は憲法改正に本気で取り組むつもりがあるのでしょうかね。なんだか頼りないですよね。まぁ、あんまり期待せずに眺めておきましょうか。

 ということで、この憲法についてずっと疑問に思っていることを書いてみようかと思います。まぁ、別に法律の専門家でもない平凡な人間のくだらない考えですが、自分のブログなんだし、ちょっと書いておこうかと思います。

 基本的には私も現行憲法は改正した方が良いと思っています。改正できなくても国民投票はやった方が絶対に良いと思うのです。何しろこの日本国憲法は連合軍の占領下において成立した憲法であって、占領した国の最高法規を勝手に変更してはいけないというハーグ陸戦条約違反の憲法じゃないですか。

 少なくとも日本人にまともな主権者意識が有ったならば、昭和27年の主権回復後すぐに国民投票をやって、これを認めるか、あるいは改正ないし破棄するかの選択をしたはずです。そうはならずにこの憲法が今日まで後生大事に守られているということは、敗戦と共に日本人は完全に主権者意識を失ってしまったという情けない証拠ですよね。

 私がずっと疑問に思っているのは、前文にある、例の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の「諸国民」を、多くの人が「諸国」と混同しているのはなぜなのだろう、という点です。この憲法の前文をきちんと読めば、国(=政府)と国民を区別して扱っていることは明確です。だから、この部分の「諸国民」は、正確に諸国の「国民」と読まなければならないはずです。

 憲法前文第一段落には重要なことが三つ書いてあります。①主権は国民にあること、②政府の行為によって戦争が起こること、③国民は正当に選挙された代表者を通じて行動し政府をコントロールすること、です。つまり、簡単に言えば日本は国民が主権を有する自由民主主義国家である、ということです。

 政府が戦争を起こす、という部分を日本政府が邪悪だから戦争を起こすのだ、などと言いだしてしまう、頭の弱い方々が団塊の世代あたりにけっこういたりしますが、これは本来もっと単純明快な話です。もし私がある外国人を憎んで殺害した場合、これは犯罪ですよね。どちらかの国の管轄で犯罪者として裁かれます。当然ですよね。

 しかし、政府が国家の意思として国民を組織し、ある別の国に対して武力行使を命じ、私がその中で「敵」である外国人を殺した場合、これは犯罪にはなりません。東京裁判でブレークニー弁護人が主張したとおり、戦争における殺人は合法的なのです。だから戦争は政府の行為によって起きるとこの憲法には書いてあるわけです。そして、この憲法は、主権者である国民が民主主義的な手続きを通して政府をコントロールしなさい、と言っているのです。

 さて、もう一度「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」に戻りますが、憲法前文第一段落の内容は日本だけではなく全ての国に当てはまりますよね。どの国も戦争を起こすのは政府であって、国民ではありません(中には好戦的な国民もいますがね・・・)。中国人であっても韓国人であっても、まぁ、どの国の国民であっても、戦争で自分の生活が破壊されるのはごめんだと、一般的には思っているはずです。

 問題は、それら諸国民が正当な選挙によって選ばれた代表者によって政府(=国)を民主的にコントロールできているかどうかです。中華人民共和国はどうでしょうか。朝鮮民主主義人民共和国はどうでしょうか。ロシアや韓国はどうでしょうか。もし日本の安全保障に直接かかわってくる国々の中に政府が国民のコントロール下にない国があったとしたら、それらの国に「公正」や「信義」は期待できるのでしょうか。

 何度も言いますが、憲法前文のこの部分に使われている単語は「諸国民」であって「諸国」ではありません。そして、この憲法前文の世界観は、世界中の国々が日本と同様に自由民主主義国であることを前提にしているものなのです。この前提に立って、初めて第九条が存在しているということは、小学生程度の理解力でもわかるのではないでしょうか。

 民主主義国は戦争しない、なんてのはお伽噺にすぎませんが、まぁ、とりあえずそれはちょっと脇に置いときましょう。

 法律というものも、おそらく普通の文章と同じように全体があって各部分が存在しているものだと、私は思っています。第九条もその他の部分から独立してぽつんとそこに存在しているわけではありません。特に前文はこの憲法の世界観の土台です。この土台があって各条文の意味が定まってくるのです。もし、この前文の土台が現実的に成立していなければ、各条文の意味や効力が変わってしまうはずです。

 ここまで言ってくれば簡単に想像できると思いますが、国民が主権者として民主的に政府をコントロールできない中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国のような国が近隣に存在する以上、第九条は「無効」とする以外、この憲法上の解釈はできないはずです。したがって、現状では日本は軍法を復活させて軍隊を持つことも可能だし、有効であるなら核武装もできるはず、と私は思うのです。

 そもそも憲法の存在は自国の生存権の表明です。自国の生存権を否定する憲法など存在し得ません。ところが日本国憲法第九条は、言ってみれば「私は存在しない、と言う私は存在している」とでも言っているようなものなのです。やはり、改正するのがベストであることに変わりありません。

 岸田総理はホントにやる気あるのかなぁ。